28/I/2020
ヴェネツィア、サン・マルコ寺院(Basilica di S. Marco)。所蔵番号不明。現在オリジナルはバジリカの中に移管され、ロッジャ/テラスには現代のブロンズ・コピーが置かれている。
1204年、第四次十字軍の際、ヴェネツィア軍によってコーンスタンティーノポリスのミリオン(競馬場)からヴェネツィアに運ばれた。
コーンスタンティーノポリスから同時期に齎されたものには貴石を鏤めた「パラ・ドーロ」がある。現在祭壇の前に置かれている。[バルレッタの巨像][B] はヴェネツィア軍が帰路途中で嵐に遭い、バルレッタの海岸に置き去りにしたもの。
「A」(向かって一番左)の寸法(Cavalli 1977, 249)。
高さ: 240cm。
背峰(両肩の間の隆起)までの高さ:171cm。
幅:90cm。
長さ:260cm。
合金分析
(1) Klaproth 1815?
—Cu 99.30%, Sn 0.70%, Pb -, Sb -, Ag -, Fe -
(2) Darcet 1815?
—Cu 99.18%, Sn 0.82%, Pb -, Sb -, Ag -, Fe -
(3) Bussolin 1842
—Cu 98.75%, Sn 1.00%, Pb 0.20%, Sb -, Ag 0.05%, Fe -
(4) Barigozzi 1908
—Cu 92.00%, Sn 7.10%, Pb 0.45%, Sb -, Ag -, Fe -
(5) Leoni 1977, 205, tabella 1
A 頭部・試料1
—Cu 98.12%, Sn 0.77%, Pb 0.55%, Sb 0.15%, Ag 0.006%, Fe 0.022%
A 頭部・試料2
—Cu 96.67%, Sn 1.31%, Pb 1.16%, Sb 0.25%, Ag 0.005%, Fe 0.13%
A 胴体・試料3
—Cu 97.65%, Sn 0.95%, Pb 0.98%, Sb 0.17%, Ag 0.009%, Fe 0.023%
A 胴体・試料4
—Cu 96.95%, Sn 1.22%, Pb 1.14%, Sb 0.21%, Ag 0.015%, Fe 0.19%
A 首輪・試料5
—Cu 98.35%, Sn 0.39%, Pb 0.11%, Sb 0.90%, Ag traccia, Fe assente
B 胴体
—Cu 97.22%, Sn 1.22%, Pb 1.04%, Sb n.d., Ag n.d., Fe 0.10%
ほぼ純銅で、錫も鉛も殆ど不純物でしかない。
間接失蠟鑄造法。
Crome 1963: Johann Friedrich Crome, «Die goldenen Pferde von San Marco und der goldene Wagen der Rhodier», BCH (Bulletin de Correspondance Hellénique), 87, 1963, 209-228, Taf.I-VII.
【コーンスタンティヌーポリスに関する古文献に基づいて、四頭の馬を、コーンスタンティヌーポリスのミリオンに置かれていた太陽神の馬車と同定する。これはもと、デルフィのアポッローン神域の、アテーナイ人がプラタイアイの戦勝に感謝してアポッローンに捧げた金製の三脚の隣の、高い基台の上に置かれていた。これはロドス人の奉納品であり、リューシッポスの制作した四頭立ての馬車(Plin.34.63)がこれである。ロドス人はこれを前304年にデーメートリオス・ポリオルケーテースに対する勝利を祝って立てた。他方ロドスに立てられた記念物がロドスの巨像である。】
Leoni 1967: M. Leoni, «Indagini metallografiche sui cavalli bronzei della Basilica di San Marco di Venezia», Enciclopedia della Scienza e della Tecnica, 68 (1967), 392-393, caption to fig.3.
【馬の身体に見られる掻き傷は金泥棒の仕業ではなく、鍍金表面の扁平な輝きを緩和するために、制作者によって意図的に施されたものである。──ゲーテが『イタリア紀行』に記した想像は間違い。】
Becatti 1971: Giovanni Becatti, «Interrogativi sul problema dei cavalli di San Marco», RendPontAcc, XLIII, 1970-71 (1971), 203-206.
【ルヌーラを考慮に入れ、コーンスタンティーヌス帝の時代と考える。手本はCrome 1963のいうリューシッポスによるデルフィの馬とも考えられるが、鍍金を施されない手本から直接型を取る再鑄である。】
Magi 1971: Filippo Magi, «La data dei cavalli di S. Marco», RendPontAcc (Atti della Pontificia Accademia Romana di Archeologia, Rendiconti), XLIII, 1970-71 (1971), 187-201.
【馬の目の瞳孔に半月形の溝を掘って生命感を付与している。この工夫はルヌーラ(lunula)と呼ばれ、紀元2世紀中頃に使われ始め、コーンスターンティヌス帝の頃、紀元4世紀初めには普通のこととなっていた。従って馬の鑄造と鍍金は紀元3世紀後半から4世紀に行われた。】
Magi 1972: Filippo Magi, «Ancora sulla data dei cavalli di San Marco», RendPontAcc, XLIV, 1971-1972 (1972), 209-217.
【耳の縁に繊毛が表され、中心が割れている。これはマルクス・アウレーリウスの馬にも見出されるので、サン・マルコの馬が紀元2世紀に制作された可能性もある。】
San Marco 1977: Guido Perocco (a cura di), I Cavalli di San Marco (cat.Venezia), Milano 1977.【修復後の展覧会の図録。】
San Marco 1981: Guido Perocco, Renzo Zorzi (a cura di), I Cavalli di San Marco, Venezia 1977; 1981 (Edizioni di Comunità).【修復研究報告書。】
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