17/I/2022
(1) ペロプス Pelops タンタロスTantalosの子。ニオベーNiobeの兄弟。ヒッポダメイアHippodameiaの夫。クリューシッポスChrysippos、アトレウスAtreus、テュエステースThyestesの父。
(2) オイノマーオスOinomaos アレースAresの子。ステロペーSteropeの子または夫。
(3) ミュルティロスMyrtilos ヘルメースHermesの子。オイノマーオスOinomaosの馭者。→トロイアーTroia神話群(アガメムノーンAgamemnon)
(4) ヒッポダメイアHippodameia オイノマーオスOinomaosの娘。ペロプスPelopsの妻。
(5) クリューシッポスChrysippos ペロプスPelopsの子。ラーイオスLaiosに誘惑される。→テーバイThebai神話群(オイディプースOidipous)
LIMC, s.v. Pelops; Oinomaos; Myrtilos; Sterope I (Ismene Triantis). Pelops, add. (Janine Balty). Hippodameia I (Maria Pipili). Amythaon; Iamos (Erika Simon). Iamos, add.(Évelyne Prioux). Chrysippos (Karl Schefold). Tantalos(Thomas Ganschow).
【系譜】
Πέλοψ, Pelops. タンタロスTantalosと、アトラースAtlasの娘ディオーネーDioneとの子。オイノマーオスOinomaosの娘ヒッポダメイアHippodameiaと結婚し、アトレウスAtreus、テュエステースThyestes、アルカトオスAlkathoosなどの子を得た。
【文献資料におけるペロプス】
父タンタロスTantalosは小アジアの町シピュロスSipylosの王だった。その所在地はリューディアーLydia、パーフラゴニアーPaphlagonia、フリュギアーPhrygiaと、伝承によって区々である。ペロプスはリューディアー人とされることが多い(ピンダロス「オリュンピアー祝勝歌」Pindaros, O. 1.24)。ペロプスの信仰が中部ギリシアで根深かったことは、『イーリアス』に記述があるペロプスの王笏が、カイローネイアChaironeiaで崇拝されていたことからも知られる(Paus. 9.40.11)。これはヘーファイストスHephaistosが作り、ヘルメースHermesがペロプスに贈ったとされている(Hom. Il. 2.101-108)。
タンタロスは神々が気づくかどうか試すために、ペロプスを細切れにして焼き、食事に供した。ほかの神は食べなかったが、ただデーメーテールDemeterだけは他のことを気にかけていたため、肩の部分を食べてしまった。ゼウスの命令によりペロプスは蘇生させられ、肩は象牙で補塡された。美しく育ったペロプスをポセイドーンPoseidonが愛した(ピンダロス「オリュンピアー祝勝歌」Pind. O. 1.40、アポッロドーロスApollodoros, epitome, 2.3)。ポセイドーンは彼に有翼の馬たちと黄金の馬車を贈る(ピンダロス「オリュンピアー祝勝歌」Pind. O. 1.87-89)。父タンタロスがフリュギアーのイーロスIlosに破れた後、ペロプスはギリシアに送られた(cf. パウサニアースPausanias, 2.22.3)。旅の途中ペロプスはレスボス島Lesbosに寄って、溺死した馭者キッラースKillasを埋葬する(テオポンポス/前4世紀Theopompos, FGrH 115 F 350)。テーバイThebaiで姉妹ニオベーNiobeをアンフィーオーンAmphionと結婚させた後(ダマスコスのニーコラーオス/紀元前後Nic. Dam., FGrH 90 F 10)、ピーサPisaに着く。
そこでペロプスは王オイノマーオスの娘ヒッポダメイアに恋し(アポッロドーロスApollod. epitome, 2.6、ディオドーロスDiodoros, 4.73)、彼女もペロプスに恋した(小フィロストラトス『エイコネス』/紀元3世紀 Philostratos iun. im. 9)。しかしオイノマーオスは娘の結婚を望まなかった。彼自身娘に恋していたからとも、婿によって自分が殺されるという神託を得ていたからともいう。オイノマーオスが求婚者たちに死の戦車競争を要求することを知り、ペロプスはポセイドーンに有翼の馬たちを所望し(ピンダロス「オリュンピアー祝勝歌」Pind. O. 1.75-85)、それによって競走に勝ち、オイノマーオスを殺す。別伝では、ペロプスは王の馭者ミュルティロス Myrtilos を説得し、戦車に細工を施し、事後にミュルティロスを海に捨てる(→ミュルティロス)。
その後ペロプスはピーサをうまく統治し、その地域全体がペロポンネーソス Peloponnesos の名で呼ばれるようになった(トゥーキューディデース『歴史』Thoukydides, 1.9)。ヒッポダメイアからは6人の息子を得(ピンダロス「オリュンピアー祝勝歌」Pind. O. 1.89。ピンダロス「オリュンピアー祝勝歌」への古註にリストがある Schol. Pind. O. 1.144)、或るニュンフェー Nymphe からはクリューシッポスChrysippos を得た。ニュンフェーの名はアクシオケー Axioche とも伝わる(ピンダロス「オリュンピアー祝勝歌」への古註 Schol. Pind.O. 1.144、ドシテオース Dositheos, FGrH290 F 6)。
ペロプスはオリュンピアーの聖なる杜アルティス Altis に、殺された求婚者たちのためのモニュメントを建て、犠牲を捧げた(パウサニアースPaus. 6.21.9)。ミュルティロスのために墓碑を建て(パウサニアースPaus. 6.20.17)、その父ヘルメースのために神殿を建てた(パウサニアースPaus. 5.1.7)。ペロプスは競走に先立って、オリュンピアーの近隣の町フリクサ Phrixa にあるアテーナー・キュドーニアーAthena Kydonia 神殿で犠牲を捧げた(パウサニアースPaus. 6.21.6)。またヒッポダメイアとの結婚に味方してもらうため、カーリアーKaria 地方のティムノスに、ミルト=テンニンカの木で作ったアフロディーテー Aphrodite 像を奉納した(パウサニアースPaus. 5.13.7)。ペロプスはピーサでは英雄として敬われた。エレアー人たちはアルティスAltis に、墳丘(ピンダロス「オリュンピアー祝勝歌」Pind. O. 1. 93)または神域(パウサニアースPaus. 5.13.1; 5.27.1)ペロピオン Pelopion を作った。またオリュンピア競技の創設者と考えられた(パウサニアースPaus. 5.8.2)。その遺骨は箱に入れて、アルテミス・コルダカArtemis Kordaka の神域の近くで保管され(パウサニアースPaus. 6.22.1)、トロイアー Troia の陥落のために必要とされた(アポッロドーロスApollod. epitome, 5.10)。
【図像資料におけるペロプス】
オイノマーオス、ミュルティロス、ヒッポダメイアの図像は、ほとんどがペロプスを表した遺品に包摂されるので、ペロプスの項に集約する。例外的な数点を末尾に添えるが、重要なものはない。
番号に付した*は図があることを示す。
A ペロプスとポセイドーン(1-2A)
B 有翼の馬の牽く馬車を駆るペロプス(3)
C ピーサに着いたペロプス(4-5)
D ペロプスとミュルティロス、策謀場面(6-11)
E 馬車競争の準備(12-23)
F 馬車競争とオイノマーオスの死(24-50h)
G ミュルティロスの死(51-52b)
H ピーサへの帰還(53-56)
I ペロプスとニオベー(57-59)
J ペロプスとクリューシッポス(60)
K 場面同定困難(61)
A PelopsとPoseidon
1 Attika赤像式。Cerveteri出土。前470年頃。Poseidonから愛の追跡を受けるPelops(裸)。
2* Attika赤像式。前400年以後。
海馬に乗ったPoseidonとPelops(himationを着る)が話している。Pelopsの祈り。
B 有翼の馬の牽く馬車を駆るPelops
3* Attika赤像式。Spina出土。前440年頃。
左から、有翼の馬たちの牽く馬車に乗ったPelops(左向きに走る)、海獣、ThetisとPeleus、Nereis、
Nereus?、Nereis。
C Pisaに着いたPelops
4* =Hippodameia I 4* =Oinomaos 2 Apulia赤像式。前360年頃。
下段左からPelopsの従者(Phrygia帽)、Pelops(同)、円柱(Oinomaosの館)、Myrtilos(右手に車輪)、Oinomaos(玉座に座る)、Hippodameia。Pelopsの上にErosとAphrodite(愛の物語)、Oinomaosの背後に馬4頭。
5* =Oinomaos 3 Attikaの石棺。アテネ、Hagia Triada出土。紀元250-260年頃。
左側面/Hippodameia(座る)、Eros、女たち。主面/Pelopsを迎えるOinomaos。若者たち。右側面/Hippodameiaを抱いたPelopsが馬車に乗って海上を走る。
D PelopsとMyrtilos、策謀場面
6* =Hippodameia I 6* =Myrtilos 2* =Sterope I 2 Apulia赤像式。Ruvo出土、前350年頃。
神域で(灌奠用の水の容器/聖水盤=ペリッランテーリオンπεριρραντήριον、頂きに三脚を載せた円柱)、下段、中央の岩に座ったPelops。左に立ったHippodameiaと話す。その左はSteropeまたは花嫁の付添人=ニュンフェウトリアーνυμφεύτρια)。Pelopsの右はMyrtilos。上段左にAphroditeとEros。策謀場面。
7 Apulia赤像式。前350年頃。
下段にMyrtilos、Pelops(右手に車輪、左手に鳥)。上段にAphrodite、Eros、座った女(ペイトーPeitho=説得?)。策謀場面。
8* =Myrtilos 3 Apulia赤像式。Ruvo出土。前340年頃。
下段左から、Myrtilos(右手に車輪)、ペリッランテーリオンに寄り掛かったPelops(Phrygia帽を被り、
Myrtilosに話しかける仕草)、Hippodameia、Sterope(またはニュンフェウトリアー)。策謀場面。
9* =Myrtilos 4* Campania赤像式。Basilicata州出土。前340年頃。
左から、Hippodameia、Eros、Pelops(ピーロスπῖλοςを被り、裸で、背中にクラミュスχλαμύςが掛かる)、Myrtilos(両手に車輪)。策謀場面。
10* =Hippodameia I 9* Myrtilos 6 =Poine 1 Apulia赤像式。Artamura出土。前330年頃。
冥界。左から、Pelops(座ってMyrtilosと話す)、Myrtilos(座る、左手と背後に車輪)、Hippodameia(右手をMyrtilosの肩にかける)。策謀場面。
11 =Myrtilos 5 Apulia赤像式。Ruvo出土。前4世紀第4四半期。
右から、Pelops(話しかける)、Myrtilos、エリーニュスErinys。策謀場面。
E 馬車競争の準備
12* =Oinomaos 5 Attika赤像式。前500年頃。
左から、祭壇で灌奠の儀式を行うOinomaosと別の人物(右のPelopsとは着衣が違うので、Pelopsではない)、有翼の馬4頭の牽く馬車に乗ろうとするPelops。
13* =Hippodameia I 10* =Oinomaos 6 =Myrtilos 9 =Poseidon 199 Attika赤像式。前380-370年頃。
下段左から、Ares、犠牲の牡羊を連れてくる少年、祭壇で灌奠の儀式を行うOinomaosと従者(籠。Pelopsではない)、(白と有色が交互に配置された)馬4頭の牽く馬車に乗ったPelopsとHippodameia。上段左から、Oinomaosの馬車に乗ったMyrtilos(馬の色の配置は前と同じ)、Poseidon(三叉の矛)、Artemis像を頂く円柱、Athena、ZeusとガニュメーデースGanymedes、Aphrodite。
14* =Hippodameia I 11* =Oinomaos 7 Lucania赤像式。前4世紀第1四半期。
左から、Oinomaosにフィアレーφιάληを渡すHippodameia、角柱、Oinomaos(兜、槍、楯)、Pelops(槍、フリュギアー帽、短い外衣クラミュスχλαμύς、外衣ヒーマティオンἱμάτιον、編み上げ靴)。
15* =Hippodameia I 12 =Oinomaos 8 =Myrtilos 10 =Sterope I 4 =Periphas I 1* =Pelagon 1* Apulia赤像式。Ruvo出土。前360年頃。
左から、Hippodameia、Sterope(またはペイトーPeitho、ニュンフェウトリアーνυμφεύτρια)、祭壇を挟んで灌奠の儀式を行うPelops(Phrygia帽、槍)とOinomaos(右手にフィアレーφιάλη。兜、槍、剣)、祭壇の奥に角柱(ゼウスΔΙΟΣと書いてある)、Myrtilos、Eros、Aphrodite。上方に求婚者二人の首が掛かっている。角柱の上はペリファースΠΕΡΙΦΑΣ、Hippodameiaの上はペラゴーンΠΕΛΑΓ[ΩΝ](Phrygia帽)。
16* = Oinomaos 9* =Myrtilos 11 Apulia赤像式。Ruvo出土。前340年頃。
左から、Eros、Aphrodite、祭壇を挟んで握手するPelops(フリュギアー帽、袖のある衣、二本の槍に凭れかかる)とHippodameia、その右にOinomaos(鎧、兜、槍、楯)、牡羊を抱えてくるMyrtilos(上方に車輪)、エリーニュスErinys=罪を追及する女神(またはリュッサΛύσσα=怒り)。
17* =Hippodameia I 14* =Lyssa 26* =Myrtilos 12 =Oinomaos 10 Apulia赤像式。前330-320年頃。
右から、Nike(Pelopsに戴冠する仕草)、祭壇を挟んで握手するPelops(フリュギアー帽)とHippodameia(ディアデーマδιάδημα)。その上方に壊れた車輪と切られた首が掛かっている。
Hippodameiaの方に手をさしのべるOinomaos、犠牲の牡羊と籠を持ってくるMyrtilos、Erinys(Lyssaではない)。
18* =Oinomaos 11 =Myrtilos 13 Apulia赤像式。前4世紀第4四半期。
左から、左に向かって馬車を駆るMyrtilos、話し合うOinomaos(鎧、槍)とPelops(楯、槍)、座ったエリーニュスErinys。
19* =Oinomaos 12 (=Priamos 99) Apulia赤像式。前310年頃。
右から、座った若い男(鎧と槍を持つ)、祭壇を挟んで灌奠=犠牲の儀式を行うOinomaos(兜、鎧、右手にphiale)とPelops(被り物、右手にオイノコエーοἰνοχόη、左手に籠)。祭壇の背後には神像を頂く円柱が立つ。Hippodameia(διάδημα)とヘーラクレースHerakles(棍棒)。
20* =Oinomaos 13* Apulia赤像式。Lecce県出土。前310年頃。
左から、籠を持つ若い女、牡羊を背負った若い男。祭壇、その奥に雷を投げようとするZeusの像を頂く円柱。右手にphialeを持って灌奠するOinomaos(鎧、槍)。右端に、座った若い男(Pelops? 右手に槍、左手に鎧を持つ)。
21 =Oinomaos 14 =Hippodameia I 15 エクフラシスἔκφρασις。Philostratos, Eikones, III.9: Pelops。紀元3世紀。
PelopsはHippodameiaと共に出発。Oinomaosの犠牲の儀式。ErosがOinomaosの馬車の車輪の車軸を切断する。
22 カルキディケーChalkidike黒像式。断片二つ。前6世紀中頃。
武装した人物(Pelopsという解釈があるが、不明)の駆る馬車の後ろの一部と、祭壇の左の一部。
23* =Alpheios 8 =Kladeos 2 =Iamos 1 =Amythaon 1 =Myrtilos 8 =Killas 1 =Hippodameia I 16 =Oinomaos 15 =Sterope I 5 =Chrysippos 8
大理石彫刻。オリュンピアー、ゼウス神殿東ペディメントpedimentの人物G。前460年頃。人物の解釈については今なお議論がある。現在一般的と思われる解釈は、左から、
A: アルフェイオスAlpheiosまたはクラデオスKladeos(オリュンピアーの近くを流れる川の河神)
L: イアーモスIamosまたはアミュターオーンAmythaon(予言者)
C: ミュルティロスMyrtilos(オイノマーオスの馭者)またはキッラースKillas(ペロプスの馭者)
D: 四頭立て馬車
B: キッラースまたはミュルティロス
K: ヒッポダメイア
G: ペロプス
H: ゼウス
I: オイノマーオス
F: ステロペー
O: 少女
M: 四頭立て馬車
N: アミュターオーンまたはイアーモス
E: クリューシッポスChrysippos(ペロプスの子)
P: アルフェイオスまたはクラデオス。
F 馬車競争とOinomaosの死
24 =Hippodameia I 17 =Oinomaos 16 古代文献。パウサニアース(Paus. 5.17.7)。「キュプセロスKypselosの箱」。前550年頃。オリュンピアー、へーラーHera神殿に奉納された。現存しない。
有翼の馬の牽く、PelopsとHippodameiaが乗った二頭立て馬車を、Oinomaosが乗った二頭立て馬車が追う。
25* =Hippodameia 18* =Oinomaos 17 =Myrtilos 14 Apulia赤像式。Taranto出土。前4世紀初め。
Pelops(奥、手綱を取る)とHippodameia(手前)の乗った四頭立て馬車(左向き)を、Oinomaos(奥、フリュギアー風衣装、槍を構える)とMyrtilos(手前、手綱を取る)が乗った四頭立て馬車が追う。
26* =Oinomaos 19 =Myrtilos 16* =Erinys 107* Apulia赤像式。Ruvo出土。前330年頃。
Pelops(奥、手綱を取る)とHippodameia(手前)の乗った四頭立て馬車(右向き)を、Oinomaos(奥、兜を被り、槍を構える)とMyrtilos(手前、手綱を取る)が乗った四頭立て馬車が追う。その間にエリーニュスErinysが松明を振り翳し、Oinomaosに向かって立つ。Pelopsの馬車の上にEros、Oinomaosの馬車の上には蛇を摑んだ鷲=Zeus。
27* =Hippodameia I 19* =Oinomaos 18 Apulia赤像式。Ruvo出土。前330年頃。
Pelops(奥)とHippodameia(手前)の乗った二頭立て馬車(右向き)を、Oinomaos(奥、左手に楯、右手に槍を構える)とMyrtilos(手前、手綱を取る)が乗った二頭立て馬車が追う。Pelopsの馬車の上にEros。
28* =Myrtilos 15* =Oinomaos 20 =Hippodameia I 21 =Lyssa 22 =Erinys 108* Apulia赤像式。前330年頃。
Pelops(奥、フリュギアー風の衣装)とHippodameia(手前)の乗った四頭立て馬車(左向き)を、
Oinomaos(奥、左手に楯、右手に槍を構える)とMyrtilos(手前、手綱を取る)が乗った四頭立て馬車が追う。両馬車の間に立ったErinys(またはLyssa)がOinomaosたちに槍を向け、馬たちは前足を挙げており、馬車の転覆を示唆する。
29* =Hippodameia I 22* =Oinomaos 21 Apulia赤像式。前4世紀第4四半期。
Pelops(奥)とHippodameia(手前)の乗った四頭立て馬車(右向き)を、Oinomaos(奥、兜、左手に楯、右手に槍を構える)とMyrtilos(手前、手綱を取る)が乗った四頭立て馬車が追う。Oinomaosの馬車の上を飛ぶErosがHippodameiaたちに戴冠しようとする。
30 =Oinomaos 14 =Hippodameia I 15 エクフラシスἔκφρασις。Philostratos, Eikones, I.17: Hippodameia。紀元3世紀。
Oinomaosの馬車は転覆。Pelopsの馬車は海上を走る。殺された求婚者たちの墳墓。
30A エクフラシスἔκφρασις。アポッローニオス・ロディオスApollonios Rhodios『アルゴナウティカArgonautika』1.752-758. 前3世紀。
イアーソーンIasonはアルゴーArgo号に乗って出発する。彼の着た緋紫色のヒーマティオンhimationに描かれた図柄の一つ。《そこにはまた、競走する二台の戦車が象られていた。/先頭の車はペロプスが手綱を振り動かしながら走らせ、/彼のそばにはヒッポダメイアが乗っていた。/その後を追って、ミュルティロスがもう一台の馬を駆っていた。/彼のそばのオイノマーオスは手に摑んだ槍を前に構えたまま、/車軸が轂こしきの中で折れ、脇へ振り落とされた。/ペロプスの背中を一突きに貫こうと逸りながら。》(岡訳)。
31* =Himera 3 貨幣。テトラドラクマtetradrachma、ディドラクマdidrachma、ドラクマdrachma銀貨。シチリア、ヒメラHimera発行。前460-450年頃。
Av. 表面。右向きに二頭立て馬車を駆るPelops(手綱、突き棒ケントロンκέντρον。上に銘ΠΕΛΟΥ)。Rv. 裏面はヒメラ。
32 貨幣。テトラドラクマ銀貨。シチリア、テルマエ・ヒメレンセスThermae Himerenses発行。前409-330年頃。
四頭立て馬車を駆るPelops?(フリュギアー帽)に、小さなNikeが戴冠する。Rv. 裏面はヒメラか。
33A* =Oinomaos 22 Campania赤像式。前360年頃。
車輪が外れた馬車から、左右に二頭ずつ(白と有色、一組ずつ)馬が走る。その前にOinomaosが立つ。帽子形の兜、右手に槍、腰に剣。(Pelopsは描かれていないが、場面からここに編入する。)
33B* =Oinomaos 23 =Lyssa 27* Apulia赤像式。前330-320年頃。
馬車が壊れ、四頭のうち三頭が逃げる中央で、Oinomaosは一頭を捉えて剣を抜いている。足許に乗車台ディフロスδίφροςが転がっている。右方でLyssaがOinomaosに向かって松明を翳している。(Pelopsは描かれていないが、場面からここに編入する。)
33C* =33* =Oinomaos 25a =Charon I/Charu(n) 39* Etruriaの遺灰容器。ヴォルテッラVolterra出土。前1世紀。
車輪が外れて壊れた馬車の前で、Oinomaosは跪く。四散する馬四頭。左で車輪を持ったPelopsがOinomaosを脅す。左端にErinys、右端にダイモーンDaimon(有翼)。
34* Etruriaの遺灰容器。Volterra出土。前1世紀。
PelopsがOinomaosの喉元に向けて剣を擬している以外、33C*と同様。ErinysとDaimonは共に有翼。
35a* =Oinomaos 27a* Etruriaの遺灰容器。Volterra出土。前1世紀。
Pelopsは車輪を持つ。左右の人物は武装した戦士。Oinomaosの右に松明を持った有翼のErinys。
35b* =Oinomaos 27b* =Erinys 109* Etruriaの遺灰容器。Volterra出土。前1世紀。ほぼ同上。
36a* Etruriaの遺灰容器。ペルージャPerugia出土。前1世紀。ほぼ同上。人物が増えている。
36b* Etruriaの遺灰容器。Perugia出土。前1世紀。ほぼ同上。
37a* =Hippodameia I 31* Etruriaの遺灰容器。Volterra出土。前1世紀。
左から、地面に立ってHippodameiaを馬車から降ろすPelops。馬車に乗ったHippodameia、Myrtilos。右方に走る馬四頭。馬車の背後に立ったErinysはMyrtilosの肩に手を載せる。Oinomaosは馬の足下に倒れ、踏み潰される。右端に有翼のDaimon。この馬車にはOinomaos、Myrtilos、Hippodameiaの3人が乗っていたのか?
37b Etruriaの遺灰容器。Volterra出土。前1世紀。
38 =Oinomaos 30 Etruriaの遺灰容器。Volterra出土。前1世紀。
39 =Oinomaos 31 Etruriaの遺灰容器。Volterra出土。前1世紀。
40* =Oinomaos 32* Etruriaの遺灰容器。Volterra出土。前1世紀。
基本的には37aと同じ。地面に倒れたOinomaosは四頭の馬の一頭の胸に剣を突き立てている。
41* =Oinomaos 33* Etruriaの遺灰容器。Volterra出土。前1世紀。
同上。Oinomaosは剣を持つが、馬に突き立ててはいない。
42* =Oinomaos 34* =Myrtilos 20 Romaの石棺。子供用。Romaの工房。紀元160年頃。
右向きに走る二つの四頭立て戦車。先を走る戦車には鎧を着けたPelopsが乗り、後ろの戦車からOinomaosが後方に落ち、Myrtilosが残っている。Oinomaosの上の横たわった女は土地のニュンフェーNympheか。左に女二人(おそらく右がSterope、左がHippodameia)。右端の建物に頭部が7つ描かれている。これは求婚者たちの切られた首が壁に掛けられていると思われるが、戦車競争の観客たちという解釈もある。
43* =Oinomaos 35* =Myrtilos 19 =Sterope I 8 Romaの石棺。Romaの工房。紀元150-180年頃。
右向きに走る二つの四頭立て戦車。先を走る戦車にはPelopsが乗り、後ろの戦車からOinomaosが後方に落ち(手前に、外れた車輪1つ)、Myrtilosが残っている。左端の城門の上に求婚者たちの首が3つ掛かっている。門から走り出た5人の女たちがOinomaosの死を悲しむ。Oinomaosの背後にいるのがSterope。
44* =Oinomaos 36* Romaの石棺。Romaの工房。紀元160年頃。
二つの場面。左、玉座に座ったOinomaosがPelopsを迎える。右、歩いているように見えるが、戦車競争。はっきりしないが、おそらく前の戦車がPelopsとHippodameia、後ろがOinomaosとMyrtilos。
45* =Hippodameia I 33* =Oinomaos 37 Romaの石棺。Romaの工房。紀元160年頃。
三つの場面。左、玉座に座ったOinomaosがPelopsを迎える(Pelopsは欠損)。右、戦車競争。前の戦車がPelopsとHippodameia、後ろがMyrtilos。前の馬たちの下には土地のNympheが横たわり、後ろの下にはOinomaosが仰向けに倒れている。右端、PelopsとHippodameiaの結婚。
46* =Hippodameia I 35* =Oinomaos 38 Romaの石棺。Romaの工房。紀元160年頃。
同上。左、Pelopsをはじめ全員が振り返って、壁に掛かった首を見ている。
47* =Oinomaos 39 Romaの石棺。Romaの工房。紀元160年頃。同上。第一場面は殆ど逸失。
48* =Alpheios 10* =Oinomaos 40 Romaの石棺。Romaの工房。紀元160年頃。
基本的には45*と同じだが。第一場面は異なる。Oinomaosの居城に着いたPelops。四阿で話すHippodameiaとOinomaos。
49* =Alpheios 12* =Hippodameia I 37*. =Oinomaos 42 Romaの石棺。Campaniaの工房。紀元160年頃。
46*に近い。三つの場面。迎え場面で、切られた首のモチーフ。競走場面で、Oinomaosはうつむけに倒れている。結婚場面で、二人は抱き合っている。
49A* =Add.1* モザイク。シリア、シャーバShahba(古代のフィリッポポリスPhilippopolis)出土。紀元3世紀後半。
三つの場面から成る。すべて名が記してある。左下、Pelops(フリュギアー帽)を迎えるOinomaos(光輪ニンブスnimbus)。間にHippodameiaが立つ。上、戦車競争。Oinomaosは後方に転落し、Myrtilosは地表でPelopsに呪いをかける?。Pelopsの戦車にHippodameiaは乗っていない。左右にメータmetae(ローマの戦車競技場両端の転回点を示す尖塔形の柱)。右下、PelopsとHippodameiaの結婚。右手の握手dextrarum iunctio(信頼の表現)。
49B モザイク。Noheda 出土。
壁に切られた首が三つ懸かっている。
50a* =Myrtilos 24a* terracotta浮彫。建築の一部。紀元1世紀。
左向きに走る四頭立て戦車。奥にMyrtilos、手前にOinomaos。
50A* =Myrtilos 24b* terracotta浮彫。建築の一部。紀元1世紀。同上。馬は欠損。
50b* =Hippodameia I 28b* =Oinomaos 43d terracotta浮彫。建築の一部。紀元1世紀。
右向きに走る四頭立て戦車二台。(おそらく前を走る)一台は、奥にHippodameia、手前にPelops。もう一台は、奥にMyrtilos、手前にOinomaos。
50c* テラコッタ浮彫。建築の一部。紀元1世紀。
右向きに走る四頭立て戦車。奥にHippodameia、手前にPelops。
50d terracotta浮彫。建築の一部。紀元1世紀。
50e terracotta浮彫。建築の一部。紀元1世紀。
50f terracotta浮彫。建築の一部。紀元1世紀。
50g terracotta浮彫。建築の一部。紀元1世紀。
50h terracotta浮彫。建築の一部。紀元1世紀。
G Myrtilosの死
51* =Myrtilos 25* Campania赤像式。Capua出土。前4世紀後半。
Pelops(奥、フリュギアー帽)とHippodameia(手前)の乗る戦車からMyrtilosが転落する。馬車の上に、座ったエリーニュスErinys(剣)。戦車の前にイルカがおり、画面下の波頭文と共に、馬車が海上を走っていることを表す。
52a* = Myrtilos 26* Etruriaの遺灰容器。Volterra出土。前170-150年頃。
神殿に逃げ込み祭壇に片膝を突いたMyrtilosを、Pelopsが剣で刺し殺す。Myrtilosが右手に持った車輪をHippodameiaが奪おうとする。右に老人。
52b* = Myrtilos 27* Etruriaの遺灰容器。同上。
52bA* Etruriaの遺灰容器。同上。
52c* Etruriaの遺灰容器。同上。
52d* Etruriaの遺灰容器。同上。
H Pisaへの帰還
53* =Hippodameia I 23* Attika赤像式。Toscana、カザルタ出土。前410年頃。
Hippodameia(奥)とPelops(手前)の乗った四頭立ての戦車が右方に走る。右、戦車の前方にイルカ。左、木の上に鳩が二羽。
53a* =Hippodameia I 25* Apulia赤像式。前390年頃。
Pelops(奥)とHippodameia(手前)の乗った四頭立ての戦車が左方に走る。
54* =Hippodameia I 26* Apulia赤像式。前330-320年頃。
Pelops(奥、フリュギアー帽)とHippodameia(手前)の乗った四頭立ての戦車が右方に走る。
55* ==Hippodameia I 29 ガラス彫石。前1世紀後半。
Pelops(奥、鞭)とHippodameia(手前)の乗った四頭立ての戦車が左方に走る。
56* =Hippodameia I 38* 貨幣。ブロンズ。スミュルナSmyrna、アントニヌス・ピウスAntoninus Pius発行(紀元138-161年)。
Pelops(奥、裸)とHippodameia(手前)の乗った二頭立ての戦車が右方に歩む。
I PelopsとニオベーNiobe
57* =Hippodameia I 39* =Niobe 18* Apulia赤像式。前330年頃。
中央、子どもたちの墓所(ナイスコスνάισκος)で、石になりつつあるNiobe。下段、Pelops(奥、フリュギアー帽、鞭)とHippodameia(手前、王冠)の乗った四頭立ての戦車が左方に走る。
58* =Niobe 19 =Trendall 1989, fig.242 Apulia赤像式。前330年頃。
中央、子どもたちの墓所(νάισκος)で、石になりつつあるNiobe。ナイスコスνάισκοςの左に、Pelops(右手に持ったフィアレーφιάληで灌奠)とHippodameia。右に、タンタロスTantalos(白髪、NiobeとPelopsの父)と年配の女。左上、アポッローンApollonとアルテミスArtemis。
59* =Niobe 20* Apulia赤像式。前340-330年頃。
中央、子どもたちの墓所(νάισκος)で、石になりつつあるNiobe。下段、祭壇に座った女(記名なし)、その左にPelops(記名あり、フリュギアー帽、剣、編み上げ靴)。
J ペロプスとクリューシッポスChrysippos
60* =Aphrodite 1495* =Chrysippos I 2* Apulia赤像式。前330年頃。
下段、左向きに走る四頭立ての馬車。ラーイオスLaiosがクリューシッポスChrysipposを拉致。Chrysipposは父Pelops(フリュギアー帽、槍二本)の方に両手を伸ばして救いを求める。
K 場面同定困難
61 =Alpheios 9 文献資料。パウサニアース(Paus. 5.24.7)。前4世紀中頃。
クニドスKnidos人がオリュンピアーでゼウスに奉納した群像彫刻。Zeus、Pelops、Alpheios。
追加 Hippodameia、Oinomaosを表した図像で、以上の分類に包摂されないもの
Hippodameia 1* Attika赤像式。Italia、スエッスラSuessula出土。前400年頃。
四人の女たち。座っているのがヒッポダメーHippodame(おそらくHippodameia。王冠、キトーンχιτών、ヒーマティオンἱμάτιον)、その他はアステリアーAsteria、イアーソーIaso、エウリュノエーEurynoe。エロースEros(上の大きい方)とポトスPothos(下の小さい方)。
Oinomaos 4* =Artemis 1227* 浮彫。セリヌースSelinous、神殿C、メトペーμετόπη。前560-550年頃。
三人の人物。PelopsとOinomaosの神話に関わるとする解釈がある。
Oinomaos 24* =Areion 5* Etruriaの鏡。前4世紀。
左から。座った鬚のある男、有翼の馬、立った若い男。それぞれにOinomaos、アリオArio(=アレイオーンAreion)、メレルパンタMelerpanta(=ベッレロフォーンBellerophon)と記されているが、OinomaosはおそらくPelopsの誤り。
【フィロストラトスにおけるオリュンピアー神話群】
フィロストラトス『エイコネス』では、ペロプス関係の作品記述は3編ある。それぞれの主要場面の順序に従うと、「I.30ペロプス」(ポセイドーンへの祈り)「III.9ペロプス」(出走直前)「I.17ヒッポダメイア」(勝利の瞬間)の順になる。
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