3/I/2019


P-6  Peiraieus Apollon+Athena+Artemis A+B  ペイライエウスのアポッローン+アテーナー+アルテミスA+B


要約  Summary





1【名称】

P-6.1[ペイライエウスのアポッローン]Peiraieus Apollon

P-6.2[ペイライエウスのアテーナー]Peiraieus Athena

P-6.3[ペイライエウスのアルテミスAPeiraieus Artemis A

P-6.4[ペイライエウスのアルテミスBPeiraieus Artemis B

 

 アテーナイ/アテネの外港の古代ギリシア名はペイライエウス(Πειραιεύς)、それを現代風に読むとピレエフス、現代名はピレアス(Πειραιάς)、ラテン名はピーラエウス/ピーレウス(Piraeus)またはピーラエエウース(Piraeeus)。「ピレウス」はラテン語ピーレウスないしドイツ語ピレーウス(Piräus)に基づく。英語ではパイレアス(Piraeus)、フランス語ではル・ピレ(le Pirée)、イタリア語ではピレオ(Pireo)


2【現所在】

ピレアス考古博物館。Pireas, Archaeological Museum.

[アポッローン]Inv. 4645

[アテーナー]Inv. 4646

[アルテミスAInv. 4647. アテネ国立博物館にあった当時はBE 28/1976 (Dontas 1982, 15n2)

[アルテミスBInv. 4648

「ブロンズの悲劇仮面」Inv. 4649

「大理石のアルテミス・キンデュアスArtemis KindyasInv. 3857

「大理石のヘルメース柱BInv. 3858

「大理石のヘルメース柱AInv. 3859

「ブロンズの楯2点の断片」の所蔵施設・番号は不明。

 

アテネ貨幣博物館。Athens, Numismatic Museum

「アテーナイ貨幣」前87-86年発行。Inv. 2075/1970

 

アテネ国立考古博物館。Athens, National Archaeological Museum.

「ホメリック・ボウルHomeric BowlInv. 22633


3【発見】

1959718日、ピレアスの主要な道路の一つで作業員が下水溝を掘っていたところ(Vanderpool 1960, 265)、ブロンズの腕が現れた。ガス管を敷設するための掘削作業中だったともいう(FormigliSchneider 1993, 92n18)。直ちに考古局に通報されて、[アポッローン][アルテミスA]、「大理石のヘルメース柱A」「ブロンズの楯の断片」がその日のうちに発掘され、ピレアス考古博物館に搬入された。考古局長パパズィミトリウ(J. Papadimitriou)とアッティカ監督官(επιμελητής: Epimelete)マストロコスタスMastrokostasが組織的な発掘を進めた結果、ちょうど一週間後に「第二弾」の発見がなされた。[アテーナー][アルテミスB]、「ブロンズの悲劇仮面」「大理石のアルテミス・キンデュアス」「大理石のヘルメース柱B」である。

 発見地点はヨルゴス一世大通り(Βασίλειος Γεοργίου: King George I Street)の南側、フィローン通り(Φιλώνος: Philon Street)と交わるところ。すなわち中央港Κεντρικό Λιμάνιに近く、テミストクレース公園Πλατεία Θεμιστοκλέους、アイア・トリアザ教会Αγία Τριάδα、および市公会堂/劇場(Δημαρχείο: town hall, Municipal Theatre)に囲まれたあたりである(Vanderpool 1960, pl.65fig.1; Eickstedt 1991, 158, cat.1.25, folding pl.2)。ここには古代の商港=エンポリオンἐμπόριονの倉庫(warehouse)があったと推定され、その一部と見られる5.70m x 2.30mの一室から彫刻群が現れた。2.30mの幅は現存部分で、それより北側、すなわち道の中央寄りは完全に破壊されていた(Vanderpool 1960, 266)。彫刻群は道路の表面から深さ0.85m-1.50mの間の位置にあった(Vanderpool 1960, 265)

 出土時の写真によれば、彫刻は船積みのために二つの木枠の中に梱包されていたと推定される。一つの木枠には[アポッローン][アルテミスA]、「大理石のヘルメース柱A」「楯二枚の断片」が入っていた。[アポッローン]は仰向きで、その上に「ヘルメース柱A」が乗り、[アポッローン]の横に[アルテミスA]が足と頭を逆に、うつ伏せに置かれ、その足もとに「楯二枚の断片」があった(Paraskevaïdis 1966, fig.2 =Palagia 1997, 178fig.2)

 もう一つの木枠には[アテーナー][アルテミスB]、「ブロンズの悲劇仮面」「大理石のアルテミス・キンデュアス」「大理石のヘルメース柱B」が入っていた。[アテーナー]は仰向け、[アルテミスB]はほぼうつ伏せで、並んで互いに抱き合っているように見えた(Vanderpool 1960, pl.65fig.2; Paraskevaïdis 1966, fig.14 =Palagia 1997, 177fig.1)。「ヘルメース柱B」は[アテーナー]を挟んで[アルテミスB]の反対側に横たわり、[アテーナー]の衣の中に「悲劇仮面」が置かれていた。Vanderpool 1960, 265-266; Palagia 1997, 177.

 

 [アポッローン]の足下に、一枚のアテーナイの貨幣が発見された。裏面に表されたゼウスの左右に、ポントスのミトリダテース(Mithridates)の印である、三日月に挟まれた星々がある(Paraskevaïdis 1966, 18; Athens, Numismatic Museum 2075/1970: Varoucha-Christodoulopoulou 1960, 500b, pl.10,5; cf. Kroll 1993, 66, 69-71, 74, no.97, pl.9)。このタイプは前87-86年にアリステイオンAristeionの支配下にあったアテーナイで発行されたものである。彫刻群のすぐ上の土には明らかに焼けた跡があり、屋根の煉瓦の断片を含んでいた。倉庫が火事で焼け落ち、炭化した木と煉瓦の下に埋もれたと推定される。その後彫刻群の捜索が行われなかったのは、この火事が広域に亙り、所有者たちも死亡したためと考えられる。ポントスPontosのミトリダテースMithridates VI世がローマに対して行った戦争に際し、アテーナイはミトリダテース側に着いたため、前86年ローマの報復を受けた(Habicht 1995, 297-313; Kallett-Marx 1995, 198-220)。スッラSullaはペイライエウス港に火を点けただけでなく、アテーナイとペイライエウス港を繋ぐ壁に打撃を加え、さらにアテーナイのアゴラーagoraにあったいくつかの商業用建築にも損害を与えた(Appianus, Mithrid. 28-41; Plutarchos, Sulla12-14; アゴラー:Camp 1986, 181; Thompson 1987)。貨幣と火事の跡から、彫刻群の埋没は前86年のスッラによるペイライエウス掠奪の間に起こったと推定される(Palagia 1997, 177)

 なお近くの部屋で、アウリスAulisにおけるイーフィゲネイアIphigeneiaの犠牲を表したいわゆるホメリック・ボウル=メガリアン・ボウル(Homeric bowl, Megarian bowl)が発見された(Paraskevaïdis 1966, 40-41; Sinn 1979, 110-111, MB53, pl.1,1; 22,3; 23,5-9)が、彫刻群との直接の関係はないと考えられる(Palagia 1997, 190n3)。アガメムノーンAgamemnonとメネラーオスMenelaosが待っているところにイーフィゲネイアが馬車で到着する、という場面が表されている。アガメムノーンは何度も現れ、人物すべてに名が記されている。前2世紀前半(LIMC, Iphigeneia [Kahil 1990], n.7: Athina MN, 22633; LIMC, Agamemnon [Touchefeu 1981], n.33)

 

 発掘者のパパズィミトリウが1963年に亡くなると発掘データは散佚し、発掘調査結果は刊行されなかった。以来それぞれの様式と年代が区々(まちまち)であることもあって個別に研究されてきたが、最近一括出土品を含む総体としての研究が進められている。特に[アポッローン]については2010年に修復研究の一端が報告された。


4【一括出土品】

「ブロンズの悲劇仮面」

「大理石のアルテミス・キンデュアス」

「大理石のヘルメース柱A/B

「ブロンズの楯2点の断片」

「アテーナイ貨幣」前87-86年発行。


P-6.1  Peiraieus Apollon



5【記述】

右足を少し前に出して立つ。アルカイック期のクーロス像は通常左足を前に出すのに対し、異例である。左手に痕跡が残る持物は弓と推定される。前に伸ばした右の手の平に何かを載せていた痕跡がある。発見時、体内に鑄造土と鉄の心棒が残っていたが、修復の際に引き出された(Vanderpool 1960, 266)


6【寸法】

高さ192cm


7【合金分析】

Steinberg 1973, 115 =Palagia 1997, 191n12; Bearzi 1966, 65 =Haynes 1992, 87, Table 2, n.11 (Athena), n12 (Artemis B)によれば、合金の組成は次の通りであるが、試料は各作品から一つずつ取られただけのようである。なお[アルテミスA]については不明。

[アポッローン]Cu 91%, Sn 8%, Pb 1%

[アテーナー]Cu 87%, Sn 11%, Pb 1%

[アルテミスA]不明。

[アルテミスBCu 86%, Sn 12%, Pb 1%

「悲劇仮面」不明。


8【厚さ】

平均6-11mm (Formigli 1999 [saldatura])


9【鑄造土の分析】

フォルミッリたちは、アテネでの修復に参加したフィレンツェの修復家ベアルツィ(Bruno Bearzi)から1978年に[ペイライエウスのアポッローン]の鑄造土の試料を受け取った。ブロンズ内部の状況についての詳細な情報は、ギリシア人修復家ハズィリウ(Christos Hatziliou)から得たという(FormigliSchneider 1993, 78=92n18)

 

 鑄造土は酸化カルシウム(CaO)25%含む粒子の細かい泥灰土(marna)からなり、クロム(cromo, chromium)とニッケル(nichel)の含有率が高い。カリウム(potassio)の分量が多いのは、粘土質の成分(componente argillosa)に含まれるイライト/雲母群鉱物(illite)の比率が高いことを示している。試料には石英(quarzo, quartz)、斜長石(plagioclasio, plagioclase)、雲母(mica)、角閃石(orniblenda)、緑簾石(epidoto, epidote)、の微細な粒が微量含まれている。粗い砕石(pietrisco grezzo)は加えられて(inclusioni)いないため、地質学的な帰属ができる可能性はきわめて小さい。海の生物の殻(gusci di animali marini)も多い(fig.5.12 [5.13])。直径40-60ミクロン(µm)の細長い小孔がたくさんあり、これは植物繊維か動物の毛(peli)に由来する可能性がある(fig.ss 10: 試料no.1704; fig.5.2)。鉱物の示す明らかな方向性(orientamento preferenziale)は直接失蠟法の指標と考えられる。

 一方アテネの国立博物館に保存されている[ペイライエウスのアポッローン]の鑄造土の大量の残片から直接分かることは、胸部(busto)の内部中央にあった鉄の心棒の周りに手で土が塗られた(spalmata)ということである。内側の第一層の表面には煤(affumicature)の跡と、中央の鉄の心棒に向かって押されて付いた人の複数の指紋(dita umane)が認められる。この火の痕跡は、原型の内側の層をまず乾燥させた際にできたとも、その後外型も含めた全体(tutta la forma)を乾燥させた際に、あるいは熔けたブロンズを流し込んだ際に生じたガスによってできたとも、考えられる。後者の場合には、中型の二つの層の間にできた割れ目の中にガスが入り込んだことになる。

 [ペイライエウスのアポッローン]と[キュテーラの少年頭部][B] の技術が似ていることに注目しなければならない。おそらくそうだろうと思われるが、[ペイライエウスのアポッローン]がアルカイック末期に年代づけられるとすれば、間接鑄造法の普及以前の直接鑄造法の遺品を我々は少なくとも二つ持っていることになる。FormigliSchneider 1993, 78.


10【制作技術】

おそらく直接失蠟法。【鑄造土の分析】参照。分鑄=5(1) 頭部。(2) トルソと両脚。両足先まで一鑄。(3-4) 両腕。(5) 性器。

 

 [ペイライエウスのアポッローン]は一般に前6世紀末から前5世紀初めに比定されているが、擬アルカイックの作品と見做す者もいる。最近ではマットゥシュとパラジャが前2世紀の擬アルカイックと考えている(Mattusch 1996, 129-140, fig.4.12; Palagia 1997; cf. Mattusch 1988, 75n70)

 その制作技術に関する組織的研究はまだ行われていないが、1979年にフォルミッリが、修復にあたったハズィリウ(Christos Hatziliou: FormigliSchneider 1993, 92n18; Khristos Karziha: Formigli 1999 (saldatura), 85)から聞いた話によると、いくつかの技術的細部はこのブロンズがアルカイック期に制作されたこと、少なくとも擬アルカイックではないことを示している。厚さが6-11mmと厚いこと。嵌金のタイプ。トルソと両脚が同鑄であること。これらはいずれもそのギリシア性(非ローマ性)を明らかにしている。熔接に関して言えば、トルソと両腕の間を繋ぐ水平の接続部で見つかった黄色い土は、体内に残っていた鉄の心棒付近にあった赤みを帯びた土とも、ブロンズの表面に近い灰色の土とも違う。それは熔接材として使われた熔けたブロンズが分散しないように置かれた、堰止めの土(熔接土)である。首の高さの所にも充塡材があるが、こちらは白色の丸い砂利である。そこには肉眼で、明らかに熔接材であるブロンズの水平なバリが認められた。これに対しトルソと両脚の接続部には熔接の跡はなかった。さらに鑄造土の分析から、おそらく直接法によって鑄造されたと推定される(FormigliSchneider 1993, 78)。このこともアルカイック末期の制作を示唆している。因みに[キュテーラの少年頭部]も直接法であることが確証されている(FormigliSchneider 1993, 76-77)

 ロレも直接法と考えた(Rolley 2003 [RA], 335)


11【同タイプの比較例】

(1) アルカイック期のクーロス多数。クーロスは、手本としたエジプトの立像に倣って左足を前に出すのが通例だが、[ペイライエウスのアポッローン]は例外的に右足を前に出している。[ペイライエウスのアポッローン]を後代、前2世紀の作とする立場はこの点を根拠の一つとするが、確実に前1世紀の[ピオンビーノのアポッローン][Paris] は伝統的な左足タイプである。

(2)「アナヴュソスのクーロス」。髪。前530年頃。

(3)「アリストディコス」。髪は短く切られている。前510-500年頃。


12【様式上の比較例】

(1)「ケラメイコスのスフィンクス」数点。前6世紀。ステーレー(墓碑)の上に乗るスフィンクス。

(2)「デルフォイのスフィンクス」。前6世紀。円柱の上に乗る。


13【復元】

左手に弓、右手にフィアレーφιάληを持っていた。





P-6.2  Peiraieus Athena



14【記述】

右脚を支脚として立ち、左脚を曲げて後ろに下げている。ペプロスπέπλοςとヒーマティオンἱμάτιονを着、右肩から左脇腹へとアイギスαἰγιςを懸けている。兜には大きな飾りが立ち、飾りの付け根には蛇がとぐろを巻いている。兜の両側面上部には前脚を挙げて走るグリュプスΓρύψ、前面下部すなわち頬当て部分にはフクロウγλαῦξを浮彫で表している。前に差しだした右の手のひらには何かを乗せていた。手のひらと親指にその痕跡が残っている。左腕はわずかに前に出すが下に下げており、左手の中に鉛が残っている。鉛に残る柄(つか)の形から、投槍を鉛で固定していたと推定される。別に梱包されていた楯の断片をこの像に帰属させる考えもある。基台に固定していた枘(ほぞ)が二つ作られていた。左足の下のものは失われ、痕跡しか残らない。右足に隣接した衣襞の間にある枘は現存している。Vanderpool 1960, 266.


15【寸法】

高さ235cm


16【合金分析】

Cu 87%, Sn 11%, Pb 1%.


17【厚さ】

平均3mm(Palagia 1997)


18【制作技術】

間接失蠟法。分鑄は不明。


19【同タイプの比較例】

4世紀に原作が作られたいくつかのアテーナーのタイプが比較される。

(1)「アテーナー・マッテイ」(Athena Mattei)。現ルーヴルのローマ・コピー。大理石。右手を右の腰に当てる点は異なるが、その他の細部は[ペイライエウスのアテーナー]とほとんど同一。「アテーナー・マッテイ」はおそらく[ペイライエウスのアテーナー]をもとに作られた。

(2)「アテーナー・インチェ」(Athena Ince)。右手を前に差し出す点で共通。支脚・遊脚も[ペイライエウスのアテーナー]と同じ(右脚が支脚、左脚が遊脚)。

(3)「アテーナー・ヴェスコヴァーリ」(Athena Vescovali)。右手に槍を持ち、左手は肘を曲げて腰に当てる。こうした点はむしろ[アレッツォのメンルウァ][F] と共通。支脚・遊脚は[ペイライエウスのアテーナー]とも同じ(右脚が支脚、左脚が遊脚)。

(4)「アテーナー・ヴェッレトリ」(Athena Velletri)。支脚・遊脚は[ペイライエウスのアテーナー]と逆(左脚が支脚、右脚が遊脚)。

(5)「アテーナー・シェルシェル」(Athena Cherchel)。支脚・遊脚は[ペイライエウスのアテーナー]と同じ(右脚が支脚、左脚が遊脚)。

(6)「アテーナー・シェルシェル・オスティア」(Athena Cherchel-Ostia)。支脚・遊脚は[ペイライエウスのアテーナー]と同じ(右脚が支脚、左脚が遊脚)。

(7)「アテーナー・ジュスティニアーニ」(Athena Giustiniani)

(8)「アテーナー・ヘーファイステイア」(Athena Hephaisteia)。支脚・遊脚は[ペイライエウスのアテーナー]と同じ(右脚が支脚、左脚が遊脚)。


20【様式上の比較例】

4世紀に原作が作られたいくつかの作品。

(1)「エイレーネーとプルートス」(Εἰρήνη καὶ Πλοῦτος)。「平和と富」。原作はケーフィーソドトスKephisodotos(プラークシテレースPraxitelesの父)。最も原作に近いとされるのは現ミュンヘン。大理石。

(2)「アポッローン・パトローオス」(Ἀπόλλων Πατρῷος)。大理石。アゴラー博物館。エウフラノールEuphranor(ケーフィーソドトスの弟子)による原作。胸から上を失う。


21【復元】

左手には槍を持っていた。右手にはフクロウまたはニーケーを載せていたともされるが、おそらくフィアレーφιάληを持っていた。





P-6.3  Peiraieus Artemis A




22【保存状態】

白大理石の白目は両方とも残っているが、「半貴石」(en pierre semi-précieuse)による虹彩・瞳は右だけが残っている(Dontas 1982, 15n2)。(虹彩・瞳孔はガラスと思われる。)眉は別鑄・装着(ajoutés)。歯は大理石の歯が残っている。前に差しだした右腕は折れていたが、もとの断片によって修復された(Vanderpool 1960, 266)。右の手のひらをやや傾けて上に向け、指を軽く折り曲げて緊張を示しているため何か重い物を乗せていたと推測される。中指が別鑄・熔接されていることも、この推測を補強する。そのため発掘者のパパズィミトリウは、ブロンズの悲劇仮面を右手に提げていたと考えた(Vanderpool 1960, 266)。左腕は体側に下げてわずかに前方に曲げ、握った指の間に何か円形断面の棒状のものを水平に持っていた。発見時両腕には鑄造土(noyau)が残っていたが、修復の際に除去された。額に小さな掻き傷がある。うなじ(nuque)、左腿(cuisse gauche)、左腕、衣襞(repli)の縁に欠損がある。後ろ側の着衣の下部はいくつかの断片から補修、部分的に補塡。洗浄は機械的に(par procédé mécanique)行われ、必要に応じて酸化銀(oxyde d’argent)を使用。窯(four)に入れた後ニス(vernis)で覆った。欠損部は合成樹脂(en matière plastique)で補塡。新たに作った基台への固定のため、内部にブロンズとアルミニウムによる支柱を入れた。Dontas 1982, 15n2.


23【寸法】

高さ194cm(Vanderpool 1960, 266; Palagia 1997, 193n80); 195cm (Dontas 1982, 15n2)

頭部の高さ27cm

首を含む頭部の高さ36cm(Dontas 1982, 15n2)


24【合金分析】

不明。


25【厚さ】

平均3-5mm (Palagia 1997)


26【制作技術】

間接失蠟法。分鑄は不明。


27【同タイプの比較例】

(1)「アルテミス・コロンナ」(Atremis Colonna)

(2)「ドレスデンのアルテミス」(Artemis Dresden)


28【様式上の比較例】

4世紀に原作が作られたいくつかの作品。

(1)[アンティキュテーラの青年][Athina]。前340330年頃。

(2)「アポッローン・パトローオス」(Ἀπόλλων Πατρῷος)。エウフラノール作の大理石原作が残る。アテネ、アゴラー博物館。


29【復元】

左手に弓、右手にフィアレーφιάληを持っていた。




P-6.4  Peiraieus Artemis B



30【保存状態】

発見時、背中に円筒形の箙(えびら)を負っており(Vanderpool 1960, pl.65fig.2; Palagia 1997, 177fig.1)、直ちにアルテミスと同定された。箙を固定する革紐には、銀の象嵌によってメアンダー文を装飾している。左腕は上腕の中程から折れていた(Vanderpool 1960, pl.70fig.8)。握った左手の中に残るのは弓と矢の断片と推定される。四体のブロンズのうち最も保存状態がよくない。


31【寸法】

高さ155cm


32【合金分析】

Cu 86%, Sn 12%, Pb 1%


33【厚さ】

不明。


34【制作技術】

間接失蠟法。分鑄:不明。


35【復元】

左手に弓と矢、右手にフィアレーを持っていた。



36【総合的考察】

ブロンズの制作年代は[アポッローン]が前530-500年頃、[アテーナー]が前330-320年頃、[アルテミスA]が前330-320年頃、[アルテミスB]が前300年前後。アッティカ各地の神域から集められたと推定される。これに対しブロンズの「悲劇仮面」と、大理石の「アルテミス・キンデュアス」「ヘルメース柱AB」はアッティカで前2−前1世紀に作られて間もないものである。

 同時出土の貨幣と火事の跡から、彫刻群の埋没は前86年のスッラによるペイライエウス掠奪の間に起こったと推定される(Palagia 1997, 177)。おそらく木枠に入れて梱包され、ローマに向けて送られる予定だった。


37【主要文献】

Vanderpool 1960: Eugene Vanderpool, «News Letter from Greece», AJA, 64, 1960, 265-271, pl.65-74.【発見状況。】

Kontoleon 1969: N.M. Kontoleon, «Zur archaischen Bronzestatue aus dem Piräus», Opus Nobile (Festschrift zum 60. Geburtstag von Ulf Jantzen), Wiesbaden 1969, 91-98, Taf.15.【[アポッローン]の様式的考察。前500年頃。】

Schefold 1971: Karl Schefold, «Die Athene des Piräus», AK (Antike Kunst), 14, 1971, 37-42, Taf.15-16.【[アテーナー]は前350-340年頃、ケーフィーソドトスの作。】

Waywell 1971: G.B. Waywell, «Athena Mattei», BSA (Annual of the British School at Athens), 66, 1971, 373-382, pl. 66-72.【[アテーナー]と「アテーナー・マッテイ」との比較。】

Karouzou 1979: S. Karouzou, «Sur la grande statue de femme en bronze trouvée au Pirée», Bronze 1979, 49-53.【アルテミスAは前300年頃。】

Palagia 1980: Olga Palagia, Euphranor, Leiden 1980.【[アテーナー]はエウフラノール作。】

Dontas 1982: Georges Dontas, «La grande Artémis du Pirée: Une œuvre d'Euphranor», AK (Antike Kunst), 25, 1982, 15-34, pl.3-6.【[アルテミスA]はエウフラノール作。】

Dontas 1986:ΓεωργεςΔοντάς, «Ὁ χάλκινος Ἀπόλλων τοῦ Πειραῖα», Kyrieleis (ed.) 1986, 181-192, 210-211 (résumé en allemand), Taf.77-79.【埋没時の歴史的状況。[アポッローン]は前475年頃。】

Houser 1987: Caroline Houser, Greek Monumental Bronze Sculpture of the Fifth and Fourth Centuries, New York-London 1987.

Mattusch 1996: Carol C. Mattusch, Classical Bronzes: The Art and Craft of Greek and Roman Statuary, Ithaca/London 1996, 129-140.【ペイライエウスで発見されたブロンズすべてが、火災によって埋もれる少し前に制作された。】

Palagia 1997: Olga Palagia, «Reflections on the Piraeus Bronzes», Greek Offerings: Essays in Greek Art in honour of John Boardman (Oxbow Monograph, 89), Oxford 1997, 177-195.【マットゥシュの影響を受ける。】

Steinhauer1998: Π. Σταινχαουερ, Τα μνημεία και το αρχαιολογικό μουσείο του Πειραιά, Αθήνα 1998.

Formigli 1999: Edilberto Formigli, «Tecnica e creazione artistica. La saldatura nella statuaria in bronzo antica», Formigli (cura) 1999, 83-90.【[アポッローンにはアルカイック期の制作を示すいくつかの技術的特徴が認められる。】

Tzachou-Alexandri 2000: Olga Tzachou-Alexandri, «Some remarks on the bronze god of Artemision», Bronze 2000, I, 87-95.【[ペイライエウスのアポッローン]は530-520年頃。間接失蠟鑄造法で制作された、最初のギリシアの大型ブロンズ像。】