2/I/2019


L-9  Losinj Apoxyomenos  ロシーニュのアポクシューオメノス








要約  Summary


1【現所在】

ロシーニュ、アポクシューオメノス博物館。Losinj, Apoxyomenos Museum.


2【発見】

1997712日、ベルギー人の潜水愛好家René Woutersが発見。クロアツィアの小港ヴェリ・ロシーニュVeli Losˇinj (Lussingrande)からほど近い二つの小島ヴェレ・オリエレVele OrjeleとコジァクKosjakの間、深度45mの地点。クロアツィア当局(Sezione archeologia subacquea del Dipartamento beni culturali del Ministero croato della Cultura)は他の遺品の探査など十分な調査をするよう準備を進めていたが、外国の潜水夫たちがブロンズを盗もうとしたので、19994月、警察(Centro addestramento sommozzatori della Polizia speciale croata)の協力を得て引き上げ作業を行った。頭部は発見時には繋がっていたが、陸揚げ作業中に外れた。


3【一括出土品】

本体と、ブロンズの板で作られた基台。発見地点から20m離れた海底でローマ時代の錨の鉛製の断片が見つかったが、ブロンズとの関係は不明。


4【寸法】

高さ192cm


5【科学的調査】

鉛を含まない2要素ブロンズ。厚さは平均3-5mm。頭部は他よりも厚く、髪、鼻、耳は特に厚い。鑄造土は全く残っていない。

 体内にあったネズミの巣の材料に使われた植物の残片のC14測定によって、難破の年代は紀元110年前後に置かれる(紀元50170年)。ネズミの囓った跡のある桃の核(種)の測定値は前20年前後(前110年〜紀元70年)。



6【制作技術】

主な分鑄は7つ。(1) 頭部。目はなくなっている。(2) トルソ。(3-4) 両腕。(5-6) 両脚。(7) 性器・ペニス・陰毛。頭部とトルソの間の熔接材のブロンズは、本体よりも鉛と錫が高い。熔接線は、首を水平にではなく斜めに角形に切っている。この切り方の類例は一つしかなく、それもローマ時代のもの。トルソと両腕・両脚の熔接は「楕円形鑄掛け熔接」。口は純銅で別鑄の上、装着。乳輪・乳首も同じ。頭部はほぼ完璧に鑄造されているが、その他は大きな欠損が目立ち(特に右上腿部背面)、技術水準は高くない。


7【様式上の比較例】

320年頃にリューシッポスが制作した「アポクシューオメノス」から派生したタイプである。

(1)[エフェソスのアポクシューオメノス][W]。ローマ・ブロンズ。Wien, Kunsthistorisches Museum。エフェソス出土。同一の原作に基づくローマ・ブロンズ。高さ191cm2つのブロンズは高さがほぼ同じなので、同じ牝型から作られた兄弟である可能性が指摘される。年代も近い。しかしエフェソスのものは全部で234の断片群を真鍮とセメントの軀体に貼り合わせて復元されており、現在の高さを確証する根拠はない。



8【碑文】

ブロンズの基台が付随しているが、そこにも碑文は刻まれていない。


9【意味】

「アポクシューオメノス」(Ἀποξυόμενος 運動の後で汚れを搔き取る青年)。「リューシッポスのアポクシューオメノス」と異なり、これまでに搔き取ってストレンギスστλεγγίς=ストリギリスstrigilisに付着した汚れを、左手の親指と人差し指で拭い取ろうとする瞬間を表している。


10【総合的考察】

おそらく小アジア西岸で前1世紀中頃に作られた。しかし鑄造時の大きな欠損が目立ったため、おそらく註文主が引き取りを拒否し、そのまま倉庫などに横たえて放置された。その後、欠損部から鼠が侵入し、種々の植物素材を運び込んで巣を作った。紀元110年頃大雑把な再修理を施し(鑄造土はおそらくこの時に取り出された)、アドリア海北岸の別荘を目指して運搬中、嵐に遭って難破した、と推定される。

 ブロンズ板による基台は、おそらく石の基台にかぶせていた。ブロンズ板と彫刻本体との接続は鑞付け(軟熔接)で、基台も当初のものと考えられる。背面以外、前面と両側面にスワスティカ・メアンダー文が施されているため、壁龕など壁面を背に設置する予定だったと考えられる。このこともローマ時代の制作であることを示している。


11【主要文献】

Pruneti 1999: Piero Pruneti, "Ecco a Voi il Bronzo della Croazia", Archeologia Viva 76 (Luglio-Agosto 1999), 48-61.

Becattini 2005: Massimo Becattini, Gianfranco Purpura, "Il miracolo del Bronzo di Lussino", Archeologia Viva, 109 (Gennaio-Febbraio 2005), 48-67.

Michelucci 2006: Maurizio Michelucci (cura), L'Atleta della Croazia, 2006.

Daehner 2015: Jens M. Daehner, "41 Atleta con strigile (Apoxyomenos di Lussino)", in Potere e Pathos, 2015, 274-275.


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