27/XII/2018


Introduction  はじめに



古代ギリシア文化圏の大型ブロンズ彫刻  Bronze Statuary in the Ancient Greek Cultural World


 「古代ギリシアのブロンズ彫刻」という標題は、より正確には「古代ギリシア文化圏の大型ブロンズ彫刻」、すなわち古代ギリシア・エトルリア・ローマで制作された、等身大前後の規模のブロンズ彫刻たちを意味する。ラテン語の副題「Corpus Aerearum Statuarum Antiquarum」は、その「集成」を目指すという意味である。本サイトの目的は、それらに関し最新の研究によって得られた意味のある情報を簡潔な形で提供し、読者一人一人が自由に、しかし確かな情報に基づいて総合的に考えることを促すことにある。

 

 19728月、南イタリアのリアーチェ沖で二体の大型ブロンズ彫刻が発見された。この[リアーチェの戦士A/B[R]に関する修復研究調査結果が刊行されたのは1984年のことである(Riace 1984)。これは個々のブロンズ作品について自然科学的研究と美術史学的研究が徹底的になされた研究史上最初の事例となった。一方19076月にチュニジアのマフディア沖で発見された沈没船の積荷の中に、二点の大型ブロンズ像[エロース]と[ヘルメース柱]が含まれていた[T]。この二体を含む一括出土品すべてについて最新の研究技術を駆使して1987-1992年に行われた修復研究の成果は1994年に刊行された(Mahdia 1994)

 [リアーチェ]も[マフディア]も陸揚げされたブロンズ像は二体だが、前者がそれ以外の発見物がなきに等しいのに対し、後者は一括出土品の量が厖大で種類も多岐に亙る。そのため同じく二巻からなるといっても報告書の規模は数倍に増大し、また内容的にも、互いにわずか十年しか隔っていないにも拘らず、その間の研究の目覚ましい進展を如実に反映している。[リアーチェ]についてはその後さらに第二次修復研究が行われ、その成果は2003年に刊行された(Riace 2003:これも二巻本)。私たちも参加した第三次修復研究の成果はまだまとめられていない。

 この二つの例に代表されるように、1980年代以降、古代ギリシア文化圏の大型ブロンズ彫刻に関する研究は目覚ましく進展した。[エーゲ海のアウグストゥス騎馬像断片][A][マザーラのサテュロス][M][ロシーニュのアポクシューオメノス][L][クリーヴランドのアポッローン・サウロクトノス][C]など新たに発見されるものばかりでなく、[アレッツォのキマイラ][F][カピトリーノの牝狼][R][マルクス・アウレーリウス騎馬像][R][クィリナーレの拳闘士/君主][R]などずっと以前から博物館に収蔵されている作品についても、新たな修復の機会に改めて研究が深められた。最近ヘレニズム期からローマ時代の大型・小型ブロンズを集めた大規模な展覧会が開催されたのは、その代表的な成果である(Potere e Pathos 2015)。

 

 こうした趨勢の中、古代ギリシア文化圏──古代地中海世界の代表的な大型ブロンズ彫刻一つ一つについて、発見・収蔵・修復の経緯、研究史、一括出土品の検討、作品の寸法、制作技術の推定、科学的調査の成果、様式上の比較例、碑文、意味内容、制作年代・制作地・制作者、積載船の航路・歴史的状況、に関する最新の情報・知見を一ヶ所にまとめることが是非とも必要である。そのような書物はまだどこにもない。著者は過去二十数年に亙ってこの集成事業に取り組んできたが、その成果をここに公けにする次第である。

 活字でなくウェブサイトの形で発表するのには、様々な理由がある。この集成作業は永遠の未完成を運命づけられており、或る程度整った形にせよ、書籍の形では私が生きているうちに纏められそうにない。テクストを日本語だけでなくイタリア語、フランス語、英語でも発表したいのだが、活字ではそれはまず不可能だ。写真を多数カラーで掲載したいが、オールカラー出版はハードルが高い。また作品によって精粗が生じるのは避けられないが、書籍の場合は形式的な統一が厳格に求められる。さらにサイトなら必要に応じて、誰に気兼ねすることなくすぐに更新できる。読者の側でも、大著を持ち運ぶことはできないが、サイトであれば博物館で作品を見ながら、或いは講義中の教室でも、スマートフォンやタブレットで参照することもできる。日本語の本、しかも専門書を海外の人が手に取ることはまずないが、サイトなら世界のどこからでもアクセスできる。メッセージを通じて意見交換もできる。ブログやSNSとリンクし、関連情報も発信できる。何より、ほとんど無料だ。双方にとって利点は計り知れない。



 全体は、序論に該(あた)る【概観 Introduction】、総論に該る【制作技術 Technique】、各論に該る【作品一覧 List】【データ一覧 Data】【作品詳細 Details】、および【文献表 Bibliography】【資料 Materials】で構成される。

 【制作技術】では古代の大型ブロンズ制作技術について工程順に概観する。【作品詳細】各作品の「制作技術」の項では、当該作品の制作技術の特徴を摘記する場合、それがどの工程に関わる話題かを明示するので、総論である【制作技術】のその工程との照合は容易なはずである。

 「古代ギリシア文化圏の大型ブロンズ彫刻」の裾野は広いが、研究上重要という意味でもよく知られているという意味でも最重要の作品は、【作品一覧】に示したように100点ほどにとどまる。

 【作品一覧 List】【データ一覧 Data】【作品詳細 Details】に収める作品の配列は推定年代順ではなく、現所在地のアルファベット+所蔵番号順とする。それはまず何よりも一括出土品単位で考察する必要があるためである。[アンティキュテーラ][A][アルテミーシオン][A][ペイライエウス][P][リアーチェ][R][マフディア][T]などでは、同一の一括出土品中に年代の異なる作品が複数含まれているが、それぞれを切り離して考察することはできない。できても繰り返しと無駄が多くなることは自明である。一括出土性の重視は本書の一つの特色をなす。とはいえこの原則は[ペイライエウスのアポッローン/アテーナー/アルテミスA/B][リアーチェの戦士像A/B]など多数の重要作品を擁する一括出土の場合、「総合的考察」に至るまでにかなりの時間を要求する。

 二つには、今後得られる新知見に基づいて考えを変える自由を保持しておきたいためである。[エフェソスのアポクシューオメノス][W][リヴォルノのトルソ][F][サン・マルコの馬][V][カピトリーノの牝狼][R]について問題となっているように、ブロンズからブロンズへの再鑄=コピー鑄造の問題があり、さらには[ピオンビーノのアポッローン][P]に見るように、クラシック/アルカイックか擬クラシック/擬アルカイックか、容易に決着が付かない場合がある。同様に、一般に行われているようにギリシア・エトルリア・ローマなど推定される制作地によって対象を限定し、最初からそれ以外の作品を除外することも、考察の自律的な展開を妨げる。

 

 【作品詳細】では一つ一つの作品について総合的に考察するのであるが、次のように、多くに共通する項目を立てて情報を分節化している。作品によって項目数には多少の出入りがある。

 

【現所在】

【発見】

【一括出土品】

【寸法】

【科学的調査】

【制作技術】

【様式上の比較例】

【碑文】

【意味】

【総合的考察】

【個別文献表】

 

 従来の研究を概観すると、作品によって、また論文によって、これらのうちいくつかの項目・領域に関する基礎データの欠落が目に付くが、このような書式を作ると未だ手付かずの領域が否応なく明らかになる。何よりも議論が分節化され、分かりやすい利点がある(その分、批判も容易であろう)。対象作品間の比較参照も容易になる。また全体としてできるだけ論理を構成するように項目を配列している。

 

 古代ギリシア文化圏の大型ブロンズ彫刻は、古今東西の美術世界に屹立する至高の達成である。その充実した意味内容ばかりでなく、現代では復元不可能と言われるほど高水準の制作技術においても比類のない価値を有している。これまでは制作技術に関する知識の欠如によって、大型ブロンズ彫刻をめぐる議論は、研究者各人の主観への依存度の高い様式論・意味論からするものが大半であった。制作技術の研究と意味内容の研究とは別々に行われてきたが、両者はともに、あらゆる角度から行う総合的研究の中に論理的に組み込まれなければならない。本サイトは今だ不十分なものであるが、古代ギリシア文化圏の大型ブロンズ彫刻に関する総合的推論のための手掛かりとなれば幸いである。