24/XII/2018


Casting Technique of Greek Bronze  古代ブロンズの鑄造技術


・古代ギリシアの鑄造技術に関する総論です。

・このページで「摘要 Essentials」を示し、【技術要約 Summary】でより詳細に考察しています。



摘要  Essential


1 失蠟鑄造法

 現存する古代ギリシア文化圏の鑄造大型ブロンズ彫刻は、年代的には前6世紀末から紀元5世紀に及ぶが、すべて失蠟(しつろう)鑄造法(ロストワックス、脱蠟法)で作られている。個々の作品の制作技術に関する考察を踏まえ、ほとんどの作品に共通して適用可能な工程区分を設定することができる。

 

1 原型(げんけい)の制作

2 牝型(めがた)の制作

3 蠟原型の制作①:牝型の内面に蠟(ろう)を張り込む

4 蠟原型の制作②:蠟原型の中に鑄造土(ちゅうぞうど)を入れる

5 蠟原型の制作③:蠟原型の中に鉄の支持棒を入れる

6 蠟原型の制作④:蠟原型の表面を蠟で仕上げ、湯口(ゆぐち)・堰(せき)・湯道(ゆみち)・上(あ)がりを配置する

7 笄(こうがい)を配置する

8 外型(そとがた/そとご)の耐火土を付け重ね、乾燥させる

9 鑄型(いがた)を加熱して蠟を排出し、素焼き焼成する

10 ブロンズを流し込む

11 湯口・堰・湯道・上がりの切除、付着物の除去、分鑄部品の熔接

12 不完全部分の補修、細部の彫り、表面の仕上げ

13 着色、鍍金

14 乳輪・乳首、唇、歯、目の装着

15 基台への据え付け

 

 失蠟鑄造法は、直接法(直接失蠟鑄造法)と間接法(間接失蠟鑄造法)に大別される。直接法と間接法の違いを一言で表せば「蠟原型を作るのに牝型を使うか使わないか」で、牝型を使わずに像の概形を作って中型(なかがた)=中子(なかご)とするのが直接法、牝型を使って蠟原型の祖型を作るのが間接法である。直接法の場合には牝型と蠟原型に関わる部分を省き1から6へ跳ぶだけで、6以後の工程は間接法と同一である。前5世紀以後の大半の遺品が間接法と考えられる。ただし間接法の場合にも部分的に直接法を併用することが多い。例えば[リアーチェの戦士B]では、帽子型の頭頂部は直接法である。



2 分鑄図

 古代ギリシア文化圏(ギリシア・エトルリア・ローマ)では、像の各部を分けて鑄造し、その後各分鑄部品を熔接することが一般的だった。これは熔接技術の発達によって初めて可能になった。中世・ルネサンス時代や仏像彫刻では、主要部分を一回で鑄造する「一鑄」の方がむしろ手柄であるかのように言われるが、実際には熔接技術の衰退でしかない。

 分鑄の仕方にはいくつかの原則が認められる。頭部。両腕。遊脚(体重のかからない脚)。足の前半分。足の中指など。男性器(陰嚢・ペニス)。いくつかの例を示す。

 

1[デルフォイの馭者]紀元前478-466頃、デルフィ博物館

2[アルテミーシオンのゼウス]前470-460頃、アテネ国立考古博物館

3[リアーチェの戦士A]前470-450頃、レッジョ・カラーブリア国立考古博物館

4[リアーチェの戦士B]前450-440頃、レッジョ・カラーブリア国立考古博物館

5[アンティキュテーラの青年]前340-330頃、アテネ国立考古博物館

 

6[クィリナーレの拳闘士]前300頃、ローマ国立博物館

7[ロドスの祈る少年]前300頃、ベルリン国立博物館

8[アルテミーシオンの馬と騎手]前150頃、アテネ国立考古博物館

9[マフディアのエロース]前2世紀後半、バルド博物館(チュニス)

10[カピトリーノのスピナーリオ]前120頃、カピトリーニ博物館(ローマ)

11[サラミースの少年]紀元1世紀、ベルリン国立博物館



3  鑄造坑

 工程〈8 外型の耐火土を付け重ね、乾燥させる〉までの作業は分鑄部品の大きさに応じて鑄造坑でも、あるいは多少ともきちんとした建物を備えた工房でも行われ得たと考えられるが、外型の加熱・焼成からは確実に鑄造坑の中で進められた。鑄造坑の中の、石、粘土ないし他の耐火性の物質で作った土台の上に外型を置き、床の高さよりも上に置くことによって、外型の下部も適切に加熱されるようにした。現存する外型の土台のいくつかには今なおそれと一体になった粘土の溝が残っており、溶けた蠟はこれによって地面に導かれ、そこで容器に集められ、あるいは蠟に火が点くことを防ぐため、床に道を作って坑の脇か端まで導かれた。

 一つの鑄造坑が長期に亙って使われ続けたことが証明される遺跡はなく、鑄造坑は特定の作品の制作のために作られ、完了後は埋められたと推測される。

 前6世紀〜前3世紀の鑄造坑を年代順にいくつか示す。1995年にシエナ近郊ムルロで再現制作が行われた際、前3世紀ロドス島のものが手本とされたのは、再現されたブロンズが前300年頃の[ロドスの祈る少年]だったためである。

 

1 アテーナイ、アゴラー、「鍵穴形鑄造坑」 前550年頃

2 アテーナイ、ケラメイコス 前5世紀

3 アテーナイ、アクロポリス南麓、「アテーナー・プロマコス」のための鑄造坑 前5世紀

4 ロドス 前3世紀