3/I/2019


W-2  Apoxyomenos from Ephesos  エフェソスのアポクシューオメノス



要約  Summary


1【現所在】

ヴィーン、美術史美術館。Wien, Kunsthistorisches Museum, Antikensammlung.

ブロンズ彫刻[エフェソスのアポクシューオメノス]Inv. VI 3168.

大理石基台Inv. III 1087.


2【発見】

1896/6/5以降数年に亙って、エフェソス港の「公共浴場の格闘技場」(Thermae-Palaestra; Hafengymnasium)で、意図的に破壊されて234の破片になった状態で発見。献辞を刻んだ大理石の基台も現存する。


3【修復】

発見後の第一次修復は1901年に終了。頭部以外は随所に欠損がある(Benndorf 1906, fig.127-129)。修復家は真鍮の板に断片を一つ一つ鋲で固定し、欠けた部分をマスチックセメントで補填した(Benndorf 1906, 187; Pochmarski 1988)

 その後、1897年にフラスカーティで発見された小型の大理石模刻(Boston 00.304)に基づいて、左手の親指と人差し指で、右手に持ったストレンギス=ストリギリスの汚れを取っているように復元するのが正しいことが分かった。1953年にそのように修復された。(Eichler 1953; Pochmarski 1988)


4【寸法】

高さ191cm。頭部の高さ30.5cm(Benndorf 1906, 194n2)

高さ193cm(Daehner 2015, 272)

現存重量85kg(Benndorf 1906, 188)

 

大理石基台は30x72x72cm(Daehner 2015, 272)


5【合金分析】

89%、錫6.09%、鉛4.87%。鉛の含有率が比較的高い。(Benndorf 1906, 188; Haynes 1992, 87, Table 2, n.16)


6【厚さ】

3-8mm(Benndorf 1906, 188; Haynes 1992, 68, Table 1, n.19)


7【制作技術】

間接失蠟法。主な分鑄は7(1) 頭部。髪、および首の基部(Halsgrube)まで含む。(2) 胴体。(3-4) 腋の下(Achselhöhe)からの両腕。(5-6) 両脚。両者の継ぎ目は後ろでは尻の下端(Gesäßspalte)、前では鼠蹊部の窪み(Leistenhöhlung)にある。 (7) 性器と陰毛。

 様々の大きさの嵌金(tasselli)が像の殆ど全表面に認められる。小さな正方形のものもあるが、多くは長方形で、大きさは2.1 x 1.8cmから5.5 x 2.5cmまで区々である。一般に、比較的大きな嵌金はローマの冷却後の作業の特徴と見做されている。[エフェソスのアポクシューオメノス]はローマの作品と考えられる。

 右の尻には嵌金の型押し(Abdrücke von Tasselli)が多く認められる。これは再鑄(Nachguß)と解される。すなわち手本のブロンズ彫刻を原型とした。これは大きな嵌金の型押しであるから、この[アポクシューオメノス]は或るローマのブロンズ彫刻の再鑄である可能性がある。(Pochmarski 1988)


8【同タイプの比較例】

[ロシーニュのアポクシューオメノス][L] 以外の、同一の原作に基づく遺品には次のものがある(Benndorf 1906, 193ff.; Arnold 1969, 269ff. K1-8; Pochmarski 1988, 77)。ベンドルフのレプリカのリストにはカンパーナ・レリーフ(Campanareliefs =Benndorf 1906, 198, Fig.147)と彫石(Benndorf 1906, 198, Fig.148-149)も含まれている。確かにこれらも同一の原作に基づいていると思われるが、原作の復元のためにも年代推定のためにも距離が遠すぎる。

*(1) フィレンツェの大型像。現ウフィーツィ(Galleria degli Uffizi, 100: Todisco 1993, n.59)。高さ193cm (193cm: Todisco 1993, n.59; 190.5cm: Benndorf 1906, 193)Bloch 1892, Taf.III, Abb.S.83, Abb.S.86; Benndorf 1906, 193Fig.136-138 [両手の補填なし]; Todisco 1993, n.59; Pochmarski 1988, Abb.6.

*(2) ボストンの小像。現ボストン美術館(Boston, Museum of Fine Arts, Inv.00.304 [H.L. Pierce Fund])。土台を除いた高さ67.9cm (Benndorf 1906, 195)Hartwig 1901, Fig.176-177, Taf.V-VI; Benndorf 1906, 195Fig.139-141; Pochmarski 1988, Abb.7. 両手の位置と動作の修復にあたって参照された。

(3) ヴァティカンの小像。現ブラッチョ・ヌオーヴォ(Musei Vaticani, Braccio nuovo, 105)。高さ144cm (Benndorf 1906, 200)Bloch 1892, Abb.S.92; Benndorf 1906, 200Fig.152; Pochmarski 1988, Abb.8.

(4) パリの小像。現ルーヴル(Louvre, MA 387)。高さ143cm (Benndorf 1906, 200)Bloch 1892, Abb.S.87; Benndorf 1906, 200Fig.153; Pochmarski 1988, Abb.9.

(5) ペテルスブルクにある大型像の頭部。現エルミタージュ(St.Petersburg, Ermitage, 65: Benndorf 1906, 199n1)。大きさはフィレンツェの大型像の頭部と同じ (Benndorf 1906, 199)Benndorf 1906, 199Fig.150-151.

(6) ローマにある大型像の頭部。現トルローニア博物館(Roma, Museo Torlonia Nr.86)Pochmarski 1988, Abb.10.

(7) ヴァティカンにある、本来属さない小像に乗せられた頭部。現ブラッチョ・ヌオーヴォ(Musei Vaticani, Braccio nuovo, 99)


9【碑文】

基台にギリシア文字で献辞が刻まれている。年代は紀元1世紀後半、出土場所である港の格闘技場が完成したドミティアーヌスDomitianus時代(在位紀元81-96年)。

「執政官代行知事(ἀνθύπατος=proconsul: 逸名)、書記(γραμματεύων=scriba: T. Claudius)、闘技場官吏官(γυμνασιαρχῶν=gymnasiarchus: L. Claudius Frugianus)の時に・・」。

 

]-ησ[

]ος επα-[

ἐ]πὶ ἀνθυπ[άτου

-ο]ῦ [γ]ραμμα[τεύοντος Τι.] Κλαυδ[ίου

γυμ]νασιαρ[χοῦντος] Λ. Κλα[υδίου

Φ]ρουγιανοῦ πρωτ[


10【意味】

「アポクシューオメノス」。左手の親指と人差し指で、右手に持ったストレンギスの汚れを取っている。前320年頃にリューシッポスが制作した「アポクシューオメノス」の応用。


11【制作年代=総合的推論】

1世紀〜紀元1世紀。ローマ時代のコピー鑄造(再鑄、再鑄造)。下限は出土場所である港の運動場が完成したドミティアーヌス時代(在位紀元81-96年)。

 

 [ロシーニュのアポクシューオメノス]の出現前、ポクマルスキーは次のように考えていた(Pochmarski 1988)。

1. エフェソスとフィレンツェのアポクシューオメノス(Schaber Ephesos-Florenz)の最も近い比較例はリューシッポスの作品に見出される。従ってオリジナル(Vorbild)の年代は前320年頃と考えるのが妥当である。この評価は髪型に基づいて多少より遅い年代に補正されるべきと思われる。しかしこの像の不安定なスタンスにより、擬クラシックの創造である可能性も残している。

2. エフェソスのブロンズはおそらくローマの作品であり、しかもおそらく同じくローマのブロンズ製手本(Vorbild)に基づく再鑄(Nachguß)である。その際、新たに制作された原型(Modell)から作られたブロンズ・コピーと共に、或る擬クラシックのローマの作品も手本(Vorbild)として考慮されたかも知れない。

3. フィレンツェ、ボストン、ヴァティカン(Braccio nuovo Nr.99. 105)、パリの模刻がローマないしその周辺から出土したことが立証され、または確実にそのように推定されることから、オリジナル(Vorbild)またはそれに基くブロンズ作品(Abguß)はローマにあったと推定される。[エフェソスのアポクシューオメノス]は、或るブロンズ製のコピーまたは新作からの再鑄(Nachguß)として、エフェソスまたは別の所で制作されたと考えられる。


12【主要文献】

Benndorf 1906: Otto Benndorf, «Erzstatue eines griechischen Athleten», FiE (Forschungen in Ephesos), I, Wien 1906, 181-204, Taf.VI-IX.

Pochmarski 1988: Erwin Pochmarski, «Zur kunstgeschichtlichen Stellung des Schabers von Ephesos», Bronze (9) 1988, 74-81.

Pochmarski 1999: Erwin Pochmarski, «Meues zum Schaber von Ephesos», Ephesos 1999 (Akten 1995), 585-592.

Daehner 2015: Jens M. Daehner, "40 Atleta con strigile (Apoxyomenos di Efeso); 40a Base con dedica", in Potere e Pathos, 2015, 272-273.