11/II/2021
【遺品】
5-1 壁画。現ナポリ(国立考古博物館、8996)。ポンペイ「彩色柱頭の家」(Pompeii VII.4.51-31(c), Casa dei Capitelli Colorati)出土。ウェスパシアーヌスVespasianus時代、紀元1世紀。LIMC, Andromeda, 104。
5-2 壁画。現ナポリ。LIMC, Andromeda, 109。同タイプ。
5-3 壁画。現ナポリ。LIMC, Andromeda, 103。同タイプ。
【原作】
前4世紀後半/前3世紀前半。
独立した板絵、パネル画。
ひねりをきかせた「形と意味の継承/本歌取り」。
水に映った映像のモチーフを導入。
挿話場面を選択。
【考察】
ペルセウスの右脚は④ニーキアースの「アンドロメダー」(4-1)を介してパルテノーンのアンフィトリーテー(4-12)へと繋がり、それによってこの絵(5-1)に海戦における勝利の後という状況を齎している。二人の座った形は原作③(3-1)のケーフェウスとアイティオピアーの少女と同一であることから、アイティオピアーという場所の特定とケーフェウスの存在という要素も持ち込まれている可能性がある。アンドロメダーの衣が岩に掛かっているのも、「パイオーニオスのニーケー」(4-7)を受け継いだ④ニーキアースの「アンドロメダー」(4-1)からの引用と解される。
メドゥーサΜέδουσαの顔を直接見ると石になってしまうので、ペルセウスはアテーナーἈθηνᾶの楯に影を映してメドゥーサの首を切断した。同様に、アンドロメダーにゴルゴネイオンを見せることを欲りしたペルセウスは、水面に映すという手段を案出した。
水に映った映像の表現は、絵画史の上では光の表現への関心が前提となる。古代文献で水に映った映像の表現が言及されるのは、前2世紀前半に活動したと推定される、ペルガモンΠέργαμονのモザイク制作者ソーソス(Σῶσος)の「水を飲む鳩」(5-6, 5-7)に関する箇所においてである。カンタロス(κάνθαρος)の縁にとまった数羽の鳩のうちの一羽が首を差し出して水を飲む、その影が水面を翳らしていた。しかしすでに「アレクサンドロス・モザイク」にはよく磨かれた楯の表面に映ったペルシア人の顔がはっきりと描かれている(5-4)。原作絵画は前4世紀第4四半期にフィロクセノス(Φιλόξενος)によって制作されたと考えられている。加えてゴルゴネイオンを水に映すというモチーフは、前350年頃のエトルリアの鏡に現れている。従って⑤(5-1)は前4世紀後半、遅くとも前3世紀前半にその出現時期を想定することができる。
関連図
「アレクサンドロス・モザイク」。ポンペイ出土(Pompeii VI.12.2, Casa del Fauno, exedra)。現ナポリ国立考古博物館。原作は前330年頃、フィロクセノスPhiloxenosによる絵画。
モザイク「水を飲む鳩」。原作は前2世紀前半、ソーソスSosos。現ローマ、カピトリーニ博物館。
壁画。現ナポリ。ナルキッソスNarkissos。オウィディウス『変容物語』の影響。
【遺品】
6-1 壁画。現存せず。ポンペイ(Pompeii IX.7.16(a), cubiculum)出土。第Ⅲまたは第Ⅳ様式。LIMC, Andromeda, 40。
6-2 壁画。現存せず。ポンペイ(Pompeii VII.15.2 (l), exedra)出土。第Ⅲ様式。LIMC, Andromeda, 38。
【原作】
前2世紀後半、マグナ・グラエキア(Magna Graecia)。
人物の形は③(アンドロメダー)と①=④(ペルセウス)の組合せ。
神話画と風景画を融合した「神話的風景画」(mythological landscape)。
ペルセウスの飛翔のモチーフを導入。
アッキウス(Accius)の悲劇「アンドロメダ」の影響。
【考察】
⑥(6-1, 6-2)と⑦(7-1)は、アンドロメダーには③(3-1)、ペルセウスには①(1-1)=④(4-1)の形をそのまま使っている。⑤(5-1)まで続けられた「形と意味の創造的継承」の追究を棚上げにして、物語絵と風景画の二つのジャンルの融合を試みたものである。これまで考察の対象となった絵画との最大の違いは、場所との比較における人物の小ささである。広大な風景の中に小さく人物を描き込むのはローマの特質と考えられ、⑥(6-1)の原作では前景をなす渚はほとんどなく、海、空はもっと狭く、人物と海獣はかなり大きく画面を占めていたに違いない。事実⑥⑦のケートスは人物に比べると雄大で、まさに怪獣である。
三つの形像の位置関係については、遺品6-1、⑦(7-1)およびアキッレウス・ターティオスのエクフラシス「前面から、真っ向から」に見るように、ケートスをもっと下、アンドロメダーの左前方に移動させるべきである。遺品6-2とアキッレウス・ターティオスの「怪獣と乙女との間」に従えばアンドロメダーはもっと上に、ペルセウスはもっと下に位置づけることになる。
岩の前に立つアンドロメダーと、空と海を背景としたペルセウスとの組合せは、④(4-1)ニーキアースの「アンドロメダー」から継承した要素である。⑥のタイプの遺品ではほとんどの場合アンドロメダーが右、ペルセウスが左に配されているため、原作でもそうだったと考えられる。④ニーキアースにおいて左にいたケートスの上方にペルセウスを移したことになる。
神話的風景画の形成に関する考察に基づき、⑥はおそらく「オデュッセイアーの風景画」(6-3〜6-12)の原作にやや先立つ前2世紀中頃にマグナ・グラエキア(南イタリア、シケリアーΣικελία)で出現した、という推測がある。ただ、この画家は前6世紀の最初の大絵画①(1-1)と同じく戦闘場面を選んだ。それにはスペクタクルを愛好したローマ演劇の影響が考えられる。共和政期に悲劇「アンドロメダー」を上演した作家としてリウィウス・アンドロニクスLivius Andronicus、エンニウスEnnius、アッキウスAcciusの名が伝わり、いずれもごく僅かな断片が残っているが、⑥の原作に刺戟を与えた可能性があるのは前140-104年頃活動したアッキウスである。原作の年代は、風景表現への指向と悲劇「アンドロメダー」とが重なり合う前2世紀後半、遅くとも前100年頃に位置づけられる。
オデュッセウスの12の冒険譚は、それぞれが民話に起源を持っている。それら各エピソードを並列的に集積するカタログ形式の場合には順番は自由に入れ替え可能である。しかしそれぞれの出来事の間に因果関係を導入すると、時間的前後関係が確定される(久保正彰『オデュッセイア──伝説と叙事詩』1983)。
オデュッセウスの12の冒険は、ホメーロス『オデュッセイアー』(前8/前7世紀)第9−12巻において次のように内容と順序が確立された。
古代壁画「オデュッセイアーの風景画Odyssey Landscape」(「オデュッセイアー・フリーズOdyssey Frieze」ともいう)は、現存するものは前50年頃に描かれたが、原作は前2世紀後半あたりにマグナ・グラエキアで出現したと推定される。現在残っているのは(5)(6)(7)(8)だけであるが、それを含め全体がこの順序に従っていたと思われる。物語は(日本の絵巻物とは逆に)左から右へと展開する。
(1) キコネス人Κίκονες退治
(2) ロートファゴスΛωτοφάγοςたちの国
(3) キュクロープスΚύκλωψたち退治(以上第9巻)
(4) アイオロスΑἴολοςの島
(5) ライストリューゴネス人Λαιστρυγόνες
【ゼフュロス=西風Ζέφυρος/船乗りα ται?/泉κρήνη/王の娘/オデュッセウスの部下1 アンティロコスἈντίλοχος/部下2 アンキアロスἈνχιαλος/部下3/広い踏み板εὐρυβάτης/山/牛/山羊】
【山羊/水に映った影/ノマース=遊牧民νομαί/ライストリューゴネスΛαιστρῡγόνες/アンティファテース王Ἀντιφάτης】
【入り江での戦い、逃走】
(6) キルケーΚίρκηの島アイアイエーΑἰαίη(以上第10巻)
【ギリシア人/ライストリューゴーンΛαιστρυγών/オデュッセウスὈδυσσεύςの船/海岸たち=アクタイἀκταί】
【キルケーの館/ヘルメース柱/オデュッセウスὈδυσσεύς/迎えるキルケーΚίρκη/侍女/脅すオデュッセウスὈδυσσεύς/キルケーΚίρκη/逃げる侍女/祠】
【樹々】
(7) ネキュイアー(冥府降り、死霊物語)Νέκυιᾱ(第11巻)
【土地の神1/土地の神2/エルペーノールἘλπήνωρ/部下2人/黒牡羊=犠牲獣/オデュッセウスὈδυσσεύς/テイレシアースΤειρεσίᾱς/ファイドラーΦαίδρᾱ/アリアドネーἈριάδνη/女/レーダーΛήδᾱ/男たち】
【オーリーオーンὨρίων/シーシュフォスΣίσυφος/ティーテュオスΤιτυός+禿鷹/
ダナイデスΔαναΐδες+ピトス=大瓶πίθος】
(8) セイレーンΣειρήνたちの歌
【セイレーンたちΣείρηνες/オデュッセウスὈδυσσεύςの船/土地の神】
(9) スキュッラΣκύλλαとカリュブディスΧάρυβδις
(10) 太陽神の牛(以上第12巻)
(11) カリュプソーΚαλυψώの島オーギュギエーὨγυγίη
(『オデュッセイアー』の叙述の上では前に戻って第5巻であるが、起こった順序としては(10)「太陽神の牛」の後)
(12) ファイアーケス人Φαίᾱκεςの国(第6−8巻。アルキノオス王に(1)〜(10)を話す)
テクストはGaselee, Warmington 1969 (Loeb); Garnaud 1991 (Budé)。【 】内は訳者(羽田)註。
[3.6]ペールーシオンΠηλούσιονにはゼウス・カシオスΖεύς Κασιόςの神像がある。【ペールーシオンはエジプト、ネイロス=ナイル川の七つの河口の最東端に位置する。】この像は青年の姿であるためむしろアポッローンἈπόλλωνのように見える。若さの盛りにあり、前に伸ばした手に柘榴ザクロの実を持っているが、この実は神秘的な意味を担っている。この神は予言を与えるとされていたため私たちはクレイニアースΚλεινίαςとサテュロスΣάτυροςに関する前兆を求めて祈ってから、ナーオス(νᾱός=神殿)の周りを歩いて行った。【「私たち」とはこのロマンの主人公クレイトフォーンΚλειτόφωνとレウキッペーΛευκίππη。クレイニアースは船が難破した際離ればなれになったクレイトフォーンの友人。サテュロスはクレイトフォーンの召使い。】
オピストドモス(ὀπισθόδομος=後室)で私たちは画家の署名のある一対の絵を見た。画家はエウアンテースΕὐάνθης、絵は「アンドロメダーἈνδρομέδα」と「プロメーテウスΠρομηθεύς」であった。二人とも捕われの身であり──画家がこの二人を組み合わせたのはそのためだと私には思われる──、その他の不幸な状況においても共通していた。二人とも岩が囚われの場所であり、二人を責めさいなむのは獣(θηρίον)であり、プロメーテウスの場合それは空から、アンドロメダーの場合は海からやって来る。救い手は互いに同族のアルゴス人(Ἀργεῖος)、ヘーラクレースἩράκληςとペルセウスΠερσεύςである。一方はゼウスの鳥【鷲】を弓で射、他方はポセイドーンΠοσειδῶνの海獣(ketos)に闘いを挑む。一方は地上にあって弓を引く姿で、他方は翼を使って空に浮かんでいる姿で表されている。
[3.7]さて、岩はアンドロメダーの身体の大きさに穿たれている。この洞窟は、それが誰かの手によって作られたものではなく、自然にできたものであることを告げている。画家は、あたかも大地が作り出したもののごとく、岩の内部を粗く描いている。乙女(κόρη)はその中に置かれている。彼女の美しさは仕上がったばかりの彫像のようであるが、縛めと海獣とに着目するならば、慌ただしく作られた墓場を思わせる光景である。【エウリーピデース「アンドロメダー」断片F125と一致する。空を飛んできたペルセウスの台詞──「おや、私の眼に映るあの海の泡に囲まれた/岩山は何だろう? 自然に細工が施されて石からできた/何か乙女の似姿のようなもの、/優れた腕で刻まれた像が見える。」③参照。断片の出典はアリストファネース「テスモフォリア祭を祝う女たち」Ἀριστοφάνης, Θεσμοφοριάζουσαι, 1105行およびその古註、その他。】
アンドロメダーの表情には美と恐怖が交錯している。恐怖は頰に現れ出で、美は眼から咲き出ている。それでも頰の蒼白さは完全に赤みを失ってはおらず、軽く赤く染まっていて、また両の眼の花も荒々しくはなく、ちょうど凋んでゆく菫スミレに似ている。画家はアンドロメダーを「より美しくする恐怖」(εὔμορφος φόβος)を使って描いているのである。【文字通りには「形の整った恐怖」。】両腕を岩の中で拡げ、それぞれの手は上の方で岩に縛り付けられ、手首(καρποί)は恰も葡萄の房のように垂れ下がっている。乙女の前腕は純白であったものが鉛色に変わり、指も死につつあるかのようである。【上腕までは衣服に蔽われていると考えられる。】
アンドロメダーはこのようにして繋がれ、死を待っている。花嫁のように飾り立て、ハーデースᾍδηςの花嫁として着飾って、立っている。足まで届くキトーン(χιτών)は、白い。その織物は蜘蛛の網のように薄く、その細さは羊の毛の如きではなく、インドの女たちが木から取って織る糸のような、羽のある虫の糸でできている。【混乱した言い方だが生糸、絹を思い浮かべていることは言うまでもない。】
海獣は乙女の前方、海底からのぼって来て海面を押し開く(τὸ δὲ κῆτος ἀντιπρόσωπον τῆς κόρης κάτωθεν ἀναβαῖνον ἀνοίγει τὴν θάλασσαν)。身体の大部分は波に包まれていて、頭部だけが海から突き出ている。波の下にある背中の影が見えるように描かれている。突起のある鱗、頸部の膨らみ、棘の密集である背鰭、とぐろを巻く尾、が見分けられる。大きく長い口は肩まで開き切られ、そこからすぐに腹部が続いている。
海獣と乙女の間には(μεταξὺ δὲ τοῦ κήτους καὶ τῆς κόρης)、怪獣めがけて全くの裸で空から降りてくるペルセウスが描かれている。ただ肩の周りにクラミュス(χλαμύς)をまとい、足には翼のあるペディーロン(πέδῑλον)を着け、帽子(πῖλος)が頭を覆っているが、この帽子は「ハーデースのキュネエー(Ἄϊδος κυνέη)」と呼ばれるものである。【本来はヘルメースἙρμῆςのもので、それを被ると透明人間になれる。】左手にはゴルゴー(Γοργώ)の頭を持ち、楯のように前に差し出している。このゴルゴーは絵ではあるがそれでも怖ろしい。両眼を見開き、こめかみの髪、蛇の形の髪を振り乱し、絵においてさえ人を恐怖に陥れる。【ゴルゴネイオンγοργόνειονを入れるための袋キビシス(κίβισις)は持っていないようである。】ペルセウスは左手ではこの武器を携える一方、右手では鎌と剣に分岐した二つの形を持つ武器で武装している。つまり柄つかから中ほどまでは一本の剣であるが、それから先は分岐し、一方は真直ぐに尖り、他方は曲がっているのである。…【ペルセウス独特のこの武器はハルペー(ἅρπη)と呼ばれる。】
【遺品】
7-1 壁画。現ニューヨーク(Metropolitan Museum of Art, 20.192.16)。ボスコトレカーセ「アグリッパ・ポストゥムスの別荘」(Boscotrecase, Villa dell'Agrippa Postumus, Room 19, cubiculum, mythological room, east wall)出土。第Ⅲ様式、前15年/前10年。LIMC, Andromeda, 32。
7-2 「ポリュフェーモスPolyphemos」。7-1の組作品。
7-3〜6 壁画。in situ。ポンペイ「サケルドス・アマンドスの家」(Pompeii I.1.7 (b), Casa del Sacerdos Amandos, Triclinium, west wall)出土。第Ⅲ様式、紀元40-60年頃。LIMC, Andromeda, 33。
7-7 「ポリュフェーモス」。7-3の組作品。
【原作】
前11年頃、ボスコトレカーセ(Boscotrecase)の画家(ストゥーディウスStudiusの弟子か)。
モノクローム風景画から派生した「神話的風景画」。
連続話法により、ケートスκῆτοςとの闘いとともにフィーネウスΦῑνεύςとの闘いにも言及する。
形像間の距離感を混乱させる描法。
多視点描法。
【考察】
7-1はポンペイ第Ⅲ様式の劈頭を飾る傑作である。前11年頃、アウグストゥスAugustusの片腕アグリッパAgrippaの甥アグリッパ・ポストゥムスAgrippa Postumusがボスコトレカーセに所有した別荘の寝室クビクルムに描かれた。原作壁画がローマに存在した可能性があるが、その制作はほとんど同年と考えられる。
岸壁と入江の遠近法を基準にすればケートスが一番手前で、カッシエペイアはそのやや奥、その向こうにアンドロメダーが立つように見える。他方ペルセウスはアンドロメダーより小さく描かれているので岸壁よりも奥に浮かんでいるはずでありながら、最も手前で暴れているケートスと戦っている。またケートスが側面観で描かれていることは、アンドロメダーとの間に想定される距離に背馳する。
岸壁の右側にはこの物語の別の場面が表されている。一つのセッティングの中に同一人物を二度以上登場させ、それによって複数の場面すなわち複数の時間を描き込む技法を連続話法と呼ぶ(continuous narrative: 日本では異時同図法といい、「伴大納言絵巻」の喧嘩の場面が有名: 7-6)。ここでは前景をなす岸壁との位置関係は全く謎のまま、海と空の青緑の中に忽然と地表線が現れる。闘いに勝利したペルセウスが神殿の前でケーフェウス、カッシエペイア、およびその随員たちに迎えられている。ペルセウスとケーフェウスの間で膝まづいているのはカッシエペイアと思われる。その背後に集結したアイティオピアー人たちは、ケーフェウスの後ろに認められる楕円形の楯と群立する槍から、武装したフィーネウス一派と解される。このことは、このボスコトレカーセの壁画またはローマにあったその手本に基づいて、より説明的、より劇的な表現で描かれた遺品(7-3)によって確証される。ここにはペルセウスを待ち受けるもう一つの試練、フィーネウスとの戦いが言及されている。
「伴大納言絵巻」子供の喧嘩から伴大納言の放火が露見する場面。いわゆる「異時同図法」の典型例。
この神話的風景画(7-1)は統一的な鳥瞰描法ではなく多視点描法で表されている。個々の形像はそれぞれの形とヴォリュームを最も容易に把握できるような視点から描かれている。建物は高い位置から鳥瞰的に捉えられる一方、個々の人物はそれぞれの位置する高さにおいて捉えられる。さらにボスコトレカーセの組作品「アンドロメダー」と「ポリュフェーモス」(Πολύφημος: 7-2)を支配する青緑色は、海と空の境の定かならぬ広がりと、空間の無限の奥行きを喚起する。
ポンペイとローマで出土したモノクローム風景画の中には黄・白・黒の他、同じく青緑色の地を有するものがあり、これがボスコトレカーセの画家の創造の出発点だったと考えられる。ローマのヴィッラ・ファルネジーナ(Villa Farnesina)出土の黒地・白地の風景画を、風景画家として古代文献が伝えるストゥーディウスStudiusと結び付け、その弟子がボスコトレカーセの壁画を描いたとするのが妥当である。
ヴィッラ・ファルネジーナVilla Farnesinaなど出土のモノクローム風景画
神話的風景画 ポンペイPompeiiなど出土の壁画
アクタイオーンAktaionとアルテミスArtemis
ディルケーDirkeに復讐するアンフィーオーンAmphionとゼートスZethos
ダイダロスDaidalosとイーカロスIkaros
セイレーンたちSeirenesとオデュッセウスOdysseus
イーオーIoを監視するアルゴスArgos
ヘスペリデスHesperidesの園のヘーラクレースHerakles
【遺品】
8-1 浮彫。「スパダ・レリーフRilievo Spada」no.2。現ローマ(Musei Capitolini, 501)。ローマ出土。おそらくハドリアーヌスHadrianus時代、紀元117-138年頃。LIMC, Andromeda, 86。おそらくこの遺品自体が原作。
8-2 モザイク。同タイプ。
8-3 モザイク。現チュニスTunis(Musée Bardo, A390)。チュニジア(Tunisia, Bulla Regia)出土。紀元3世紀中頃。LIMC, Andromeda, 75。8-1と違い、ゴルゴネイオンが見えている。
アイティオピアー王妃ペルシンナの寝室の壁に掛けられていたアンドロメダーの絵は、ペルセウスによる解放場面を描いた⑧のタイプだった。
4.8.5: ... ἐπειδὴ δέ σε λευκὴν ἀπέτεκον, ἀπρόσφυλον Αἰθιόπων χροιὰν ἀπαυγάζουσαν, ἐγὼ μὲν τὴν αἰτίαν ἐγνώριζον ὅτι μοι παρὰ τὴν ὁμιλίαν τὴν πρὸς τὸν ἄνδρα προσβλέψαι τὴν Ἀνδρομέδαν ἡ γραφὴ παρασχοῦσα καὶ πανταχόθεν ἐπιδείξασα γυμνὴν, ἄρτι γὰρ αὐτὴν ἀπὸ τῶν πετρῶν ὁ Περσεὺς κατῆγεν, ὁμοιοειδὲς ἐκείνῃ τὸ σπαρὲν οὐκ εὐτυχῶς ἐμόρφωσεν.
Héliodore, Les Éthiopiques (Théagène et Chariclée), tomes I-III, 1960 (Budé)
・・あなた【=カリクレイア】がアイティオピアー人たちとは異なる白く輝く肌に生まれたことで、私はその原因に気付きました。それは、夫と関係している間、絵に描かれたアンドロメダーを見ていたためなのです。ペルセウスが岩から下ろす全裸の彼女と同じ姿を、蒔かれたものが不運にも取ったのです。
【原作】
紀元2世紀前半、ネオ・アッティカ派Neo Attica。
形は③(ペルセウス)と④(アンドロメダー)の組合せ。
クラシック期ギリシアの代表作二点の創造的継承。
「形と意味」をめぐる洗練された知的遊び。
【考察】
「スパダ・レリーフ」(8-1)のアンドロメダーの形は前1/紀元1世紀のネオ・アッティカの浮彫「牡牛を追う二人の女」(現フィレンツェ: 8-5)の左側の女性である。この浮彫は、前420-400年頃に制作されたアテーナイ、アクロポリスのアテーナー・ニーケー神殿の周壁の浮彫「牡牛を追うニーカイ」(現アクロポリス博物館: 8-7)に基づいている。この浮彫自体さらに、前442-438年に制作されたパルテノーン・フリーズの「牡牛を追う若者たち」(8-8)の応用である。この若者たちもニーケーたちも、アテーナーの栄光を讃える者たちという意味では共通する。しかし⑧「スパダ・レリーフ」のアンドロメダーは、アテーナー・ニーケー神殿の周壁で初めて生じたニーケー=勝利という意味内容を受け継いでいる。「ニーケーの周壁」との結びつきは、⑧におけるケートスκῆτοςの頭部の位置を説明する手掛かりを与える。ニーケーは左足を岩を支えとして踏ん張っていたが、その岩のあった位置にケートスの頭部を置いたと考えられる。
ペルセウスの形は、遅くとも前420年頃までに出現した「ディオメーデースΔιομήδης」(3-3)を適用している。この「ディオメーデース」はすでに③(3-1)でペルセウスとヘルメースἙρμῆςに使われていた。
従って⑧は③と④をもとに作られたと言える。すなわち⑧は、③からはディオメーデースとしてのペルセウスを、④からはニーケーとしてのアンドロメダーを受け継ぎ、両者を組み合わせたものである。では⑧はなぜ、「パイオーニオスのニーケー」と「クニドスのアフロディーテー」との合成である④のアンドロメダーからニーケーだけを残し、アフロディーテーを取り除いたのだろうか。その理由は「イーリアス」第5巻に見出される。ディオメーデースがアイネイアースΑἰνείᾱςの腰に岩をぶつけ、ほとんど生命を奪ったとき、アフロディーテーが駆けつけ、我が子アイネイアースをその絹の衣で覆い隠す。そこでディオメーデースは、予てアテーナーから嗾されていたこともあって、アフロディーテーに飛びかかって槍で手先を傷つける。アフロディーテーは叫び声を上げてアイネイアースを放り出し、アレースἌρηςから戦車を借りてオリュンポスへと逃げ去った。──④のアンドロメダーの中にいたアフロディーテーは、⑧ではディオメーデースが出てきたので慌ててオリュンポスへと飛び去ったのである。
ネオ・アッティカ派に属する⑧の作者は、美術の歴史および文学の知識を踏まえ、洗練された知的な遊びに満ちた「形と意味の組合せ」方によってこの作品を作り出したと評することができる。
関連図
「スパダ・レリーフRilievi Spada」全体の配置構成。左から時計回りに
(1) ベッレロフォーン+ペーガソスΒελλεροφῶν, Πήγασος
(2) ペルセウス+アンドロメダーΠερσεύς, Ἀνδρομέδᾱ
(3) 眠るエンデュミオーンEndymion-Selene Ἐνδυμίων, Σελήνη
(4) 死にゆくアドーニスAdonis-Aphrodite Ἄδωνις, Ἀφροδίτη
(5) パリス+エロースΠάρις/Ἀλέξανδρος, Ἔρως
(6) パリス+オイノーネーΠάρις/Ἀλέξανδρος, Οἰνώνη
(7) パッラディオンΠαλλάδιονを奪うディオメーデース+オデュッセウスΔιομήδης, Ὀδυσσεύς
(8) ダイダロス+パーシファエーΔαίδαλος, Πᾱσιφάη
(9) オフェルテースOpheltes Ὀφέλτηςの死、またはヒュプシピュレー+アルケモロスὙψιπύλη, Ἀρχέμορος
(10) アンフィーオーン+ゼートスἈμφίων, Ζῆθος
(1)(2)、(3)(4)、(5)(6)、(7)(8)、(9)(10)がそれぞれ組をなしている。
浮彫。「二人の女と牡牛」。現フィレンツェ。
同。現ヴァティカン。
浮彫。「二人のニーケーと牡牛」。アテーナイ、アクロポリスのアテーナー・ニーケー神殿の周壁のフリーズ。
浮彫。「三人の若者たちと牡牛」。アテーナイ、アクロポリスのパルテノーン神殿のフリーズ。
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