18/XII/2018


Μενοικεύς メノイケウス


【フィロストラトスにおけるテーバイ神話群】

 

 テーバイ神話群の中核的人物はオイディプースであるが、『エイコネス』にはオイディプースそのものを扱った絵画はなく、テーバイ神話群としては「I.4メノイケウス」「I.27アンフィアラーオス」「II.29アンティゴネー」「II.30エウアドネー」がある。

 時系列で並べると、「I.4メノイケウス」「II.30エウアドネー」「I.27アンフィアラーオス」「II.29アンティゴネー」となる。


【神話の要約】

 メノイケウス(Μενοικεύς (Menoeceus)。クレオーンKreonとエウリュディケーEurydikeの子。カドモスKadmosが撒いたドラコーンδράκων(龍、大蛇)の歯から生まれたスパルトイSpartoiの後裔の一人の犠牲死が必要との神託を受けて自殺し、七将の襲撃からテーバイThebaiを救った。


【文献資料におけるメノイケウス】

 

 最も詳細な記述はエウリーピデース「フォイニッサイ/フェニキアの女たち」。テーバイの予言者テイレシアースTeiresiasは、メノイケウスがいるところでクレオーンに、カドモスKadmosがドラコーンを殺したことを怒り続けているアレースAresとゲーGe/Gaiaを宥めるために、スパルトイSpartoiの一人が死ななければならないと告げる。クレオーンは息子への愛から、テイレシアースに黙っているように頼むが拒否され、メノイケウスを逃がそうとする。しかしメノイケウスは父親が立ち去ったあと、国のために身を捧げることを予告する(以上Euripides, Phoinissai, 834-1018)。続いて使者の報告により、メノイケウスが町の胸壁の上で、身体を剣で突いたことが告げられる(1090-1092)。クレオーンは死体を抱えて、(おそらく胸壁の上で剣で身体を突いたあと落下し、)龍の洞窟の中で死んだと言う(1313-1316)。

 エウリーピデースEuripides以前にはメノイケウスについて伝える資料はない。アイスキュロスAiskhylosとソフォクレースSophoklesで、クレオーンの別の子メガレウスMegareusが戦場で死んだことが伝わるだけである(Aiskhylos, Septem, 473-480; Sophokles, Antigone, 1303)。ポリスpolisを救うために自分の意志で自分を犠牲にするというモチーフはエウリーピデースにはしばしば見られるため(Erechtheus; Herakleidai断片が残る「エレクテウスErechtheus」ではエレクテウスの娘=名は不詳=が、「ヘーラクレイダイ」ではヘーラクレースHeraklesの娘マカリアーMakariaが犠牲になる)、メノイケウスを初めて導入したのはエウリーピデースだったと考えられる。名前はクレオーンの父の名メノイケウスから取った。

 細部は別として、以後殆どすべての資料がエウリーピデースを受け継いでいる(唯一の例外はソーシファネース:Sosiphanes, TrGF, I2, 92 F4)。アポッロドーロスではメノイケウスは町の城壁の前で死ぬ(Apollodoros, bibliotheke, 3.6.7)。ヒュギーヌスでは城壁から落下する(Hyginus, fabulae, 68)。(ヒュギーヌスには、オイディプースが王位にある時に、メノイケウスの祖父のメノイケウスが、やはり城壁から落ちて死ぬ話がある:Hyginus, fabulae, 67)。おそらくエウリーピデースでも「城壁からの落下」は想定されていた。なぜなら城壁に近い岩の割れ目にかつてドラコーンδράκωνが棲んでいて、そこに犠牲の血が懸かる必要があるということに違いないからである。パウサニアースによれば、ナイティス門にメノイケウスの墓があり、柘榴の樹が立っていた(Pausanias, 9.25.1)。紀元1世紀のスターティウス「テーバイス」ではメノイケウスの死を情熱的に飾り立てている。多くの敵を殺したあと、ウィルトゥースVirtus/勇気によって自死を促され、城壁の上で死ぬが、それと同時にカパネウスKapaneusが梯子を登って突撃してくる。ウィルトゥースとピエタースPietas/慈悲はメノイケウスの屍を落下させず、損傷することなく戦場に運び下ろす。テーバイ人たちは厳かな葬礼行進をして遺骸を町の中に運び入れる(Statius, Thebais, 10.610-790)。


【図像資料におけるメノイケウス】

 可能性が指摘される遺品は数点あるが、確実にメノイケウスと同定できる遺品は一つもない。この絵については構図と人物の形の類似例を探すことになる。