18/XII/2018


Ἀντιγόνη アンティゴネー


【神話の要約】

Krauskopf 1981: LIMC, I, s.v. Antigone

 

 アンティゴネー(ギリシア語Ἀντιγόνη)、アンティゴナ(ラテン語Antigona)。

 オイディプースOidipousと、イオカステーIokasteまたは(より古い伝承では)エウリュガネイアEurygáneiaの娘。エテオクレースEteokles、ポリュネイケースPolyneikes、イスメーネーIsmeneの姉妹。ラブダコスLabdakos(ラーイオスLaiosの父)一族にかけられた呪いによって一家もろとも破滅する。盲目となったオイディプースが追放されたあと、アテーナイAthenaiのコローノス・ヒッピオスKolonos Hippiosで歿するまで、父に忠実に付き従う。故郷テーバイThebaiに帰り、母イオカステーとともに、反目し合うエテオクレースとポリュネイケースを和解させ、さらにはポリュネイケースとアルゴスArgosの七将によるテーバイ攻撃を阻止しようとするが、失敗する。兄弟が相討ちで死んだあと、長老会議、または新たに支配者となったクレオーンKreonの公布した禁令を犯して、愛するポリュネイケースの遺体を埋葬する。アンティゴネーは捕らえられ、クレオーンの前に引き立てられ、婚約者であるクレオーンの子ハイモーンHaimonの懇願もむなしく死刑の宣告を受ける。生きたまま地下の洞窟に幽閉されるが、餓死を避け首を吊って自殺する。侵入に成功したハイモーンはその遺体のそばで自殺する。予言者テイレシアースTeiresiasの非難と脅迫によって自信がなくなったクレオーンは判決を取り消すが、すでに遅く、二人の遺体を発見することになる。ハイモーンの母エウリュディケーEurydikeは絶望し、我が身を刺して息子の遺体の上で息絶える。ソフォクレースSophoklesの「アンティゴネー」では以上のように語られている。

 失われたエウリーピデースEuripidesの「アンティゴネー」では、死刑の宣告は「機械仕掛けの神」(deus ex machina、おそらくディオニューソスDionysos)の介入によって破棄され、アンティゴネーはハイモーンと結婚したようである。

 第三のヴァージョンでは、ハイモーンはアンティゴネーを殺すように命じられるが、羊飼いたちの土地に二人で隠れ住む。息子のマイオーンMaionが成長してテーバイの競技に参加したとき、その身体に槍の形の痣、すなわちカドモスKadmosが撒いた龍の歯から生まれたスパルトイSpartoiの後裔の印があることに、クレオーンが気づく。マイオーンの両親がクレオーンの前に引き出され、ヘーラクレースHeraklesの懇願にも拘わらずクレオーンは強情を貫き、ハイモーンは命令通りアンティゴネーを殺し、次いで自殺する。

 おそらくハイモーンの話を知らない別伝では、アンティゴネーAntigoneとイスメーネーIsmeneは、エテオクレースEteoklesの子ラーオダマースLaodamasによって、へーラーHeraの神域で焼き殺される。


【文献資料におけるアンティゴネー】


 アンティゴネーがはっきりした姿を現すのは前5世紀、とりわけソフォクレースSophoklesの悲劇が決定的である。

 

〜前6世紀 「オイディポデイア」Οἰδιπόδεια(断片)

〜前6世紀 「テーバイス」Θηβαΐς(断片)

467年 アイスキュロスΑἴσχυλος「テーバイを攻める七将」Ἑπτὰ ἐπὶ Θήβας; Septem contra Thebas

441年 ソフォクレースΣοφοκλῆς「アンティゴネー」Ἀντιγόνη

441432年 ソフォクレースΣοφοκλῆς「オイディプース王」Οἰδίπους Τύραννος; Oidipus Rex

4??年 エウリーピデースΕὐριπίδης「フォイニッサイ」Φοίνισσαι

4??年 エウリーピデースΕὐριπίδης「アンティゴネー」(断片)

401年頃(歿後上演) ソフォクレースΣοφοκλῆς「コローノスのオイディプース」Οἰδίπους ἐπὶ Κολωνῷ; Oidipus Coloneus

2世紀 アポッロドーロスἈπολλόδωρος「ビブリオテーケー」Βιβλιοθήκη

2世紀後半 アッキウスAccius「フォエニッサエPhoenissae」「アンティゴナAntigona」(断片)

紀元1世紀前半 セネカSeneca「フォエニッサエ」Phoenissae(断片)

紀元前後 ヒュギーヌスHyginus「神話集」Fabulae

紀元1世紀 スターティウスStatius「テーバイス」Thebais

紀元3世紀 フィロストラトスΦιλόστρατος「エイコネス」Εἰκόνες

 

 アルカイック期にオイディプース一族の物語を扱った叙事詩「オイディポデイアΟἰδιπόδεια」と「テーバイスΘηβαΐς」では、エテオクレースEteokles、ポリュネイケースPolyneikes、アンティゴネーAntigone、イスメーネーIsmeneの兄弟姉妹はイオカステーIokasteの子ではなく、その死後にオイディプースが再婚したエウリュガネイアEuryganeiaの子とされていたようである。ペイサンドロスとフェレキュデースはそのように伝えており(Peisandros: FGrH, I.181-182, frg.10 =Schol. Eur. Phoinissai, 1760; Pherekydes: FGrH, I.86, frg.95 =Schol. Eur. Phoinissai, 53)、アポッロドーロスも別伝として記している(Apollodoros, 3.55)。オイディプースのエウリュガネイアとの再婚についてはパウサニアースも伝えている(Pausanias, 9.5.10-11)。

 エテオクレースの子ラーオダマースLaodamasがアンティゴネーとイスメーネーをへーラーの神域で焼き殺すという奇妙な話を、キオスChiosのイオーンIonがディーテュランボスdithyrambosで伝えているが、これも上記叙事詩にあったものかも知れない(PLG4, 255-256, frg.12; Page, PMG, 383, no.740 =Hypothesis, Sophokles, Antigone)。この話はおそらく、ラーオダマースに追われた姉妹がへーラーの祭壇に逃げたので、ラーオダマースは祭壇の周りに薪の山を築かせた、ということだろう。動機として考えられるのは、ポリュネイケースの遺体の埋葬禁止令に違背したことである。もしそうだとすると、アンティゴネーによるポリュネイケースの遺体の埋葬は悲劇作家たちが案出した要素ではないということになる(cf. 図像資料no.23-25; C. Robert, Oidipus, I, 1915, 362-367; Meuli 1924 =RE, s.v. Laodamas, XII.1, 697)。

 

 このようにアンティゴネーに関するいくつかの描線はすでにあったが、輪郭を確立したのは前5世紀の悲劇である。441年に上演されたソフォクレース「アンティゴネー」は、テーバイ王家の破滅の神話の中でそれまで脇役でしかなかったアンティゴネーを主役として、クレオーンの体現する国家の絶対的要求に対し、記されていないが覆すことのできない、神的であると同時に深く人間的な権利を擁護させた(Sophokles, Antigone, 450-470)。前467年上演のアイスキュロス「テーバイを攻める七将」の最終部にも類似の台詞があるが、この部分はおそらくソフォクレースの「アンティゴネー」を受けて後世に付加されたと推定されている(Aiskhylos, Septem, 1005-1078; 同時上演は「ラーイオスLaios」「オイディプース」「テーバイを攻める七将」とサテュロス劇「スフィンクスSphinx」)。アイスキュロス「テーバイを攻める七将」にアンティゴネーとイスメーネーが登場したかどうかははっきりしないが(861-; A. Lesky, Die tragische Dichtung der Hellenen, 19723, 89, Anm.23; 93-94; 97)、しかしアイスキュロスでも、オイディプースの子どもたちがイオカステーとの結婚から生まれたとされていたことは確かである。

 これに対しアンティゴネーとハイモーンHaimonの関係を案出したのはおそらくソフォクレースである。エウリーピデース「フォイニッサイ」の最後の部分もソフォクレースの影響を受けている。そこでアンティゴネーは、追放された父に同行すること、禁令に抗ってポリュネイケースPolyneikesを埋葬する考えであること、そしてエテオクレースEteoklesの命ずるハイモーンとの結婚の拒絶を表明する。このうまく調和しないモチーフの組合せのうち、少なくとも埋葬の禁止は後世の挿入と考えられる(Webster, T.B.L., The Tragedies of Euripides, 1967, 218-219; Lesky 1972, 455-457)。とはいえアイスキュロス「七将」と比較して、エウリーピデース「フォイニッサイ」におけるアンティゴネーは明らかに重要性を増している。兄弟が相戦うのを妨げようと、母とともに戦場に向かう(1264-1282, 1435-1459)。劇の始めの方では城壁の中で養育係の老人とアルゴスの軍勢について描写し、ポリュネイケースへの愛を表明する(88-201)。「フォイニッサイ」の末尾で表明される、追放された父への同行は、ソフォクレースの最後の悲劇「コローノスのオイディプース」でより詳しく語られる。こうして兄弟と親に対する無私の愛が、アンティゴネーの第二の最重要の特質として確立された。

 

 失われたエウリーピデース「アンティゴネー」については僅かな断片(TGF, frg.157-178)のほか、ソフォクレース「アンティゴネー」の古註(scholion)一つと、同作についてビューザンティオンByzantionのアリストファネースAristophanesが残した梗概(hypothesis)だけが残っている。そこから知られるのは、アンティゴネーはポリュネイケースの遺体のところで(ハイモーンとともに?)捕らえられるが、最後にはハイモーンと結婚し、マイオーンMaionを産むということである。ヒュギーヌス『神話集』72では、ハイモーンはアンティゴネーを牧人の土地に隠して一緒に平和に暮らしていたが、子のマイオーンがテーバイの競技で勝利したことがきっかけとなり、素性が知れて両親が死ぬことになるが、これはエウリーピデース「アンティゴネー」に基づく伝承ではないか、とも考えられる(Robert, Huddilston)。しかしより説得的なのは、エウリーピデースはソフォクレースと同じモチーフ(埋葬の禁止、違反、死刑宣告)を扱い、ただ劇の最後にデウス・エクス・マキーナーを導入し、そこでマイオーンの誕生が予言されたのではないか、という推論である(Vogel, Paton, Séchan、および最近の研究者のほぼすべて。Cf. Webster, T.B.L., The Tragedies of Euripides, 1967, 181-184)。

 ヒュギーヌスの話は「クレオーンの前に立つアンティゴネーとハイモーン」を描いた前4世紀後半の複数のアープーリア陶器(no.14-16)と一致するため、おそらく前4世紀の資料に基づくと考えられる。前341年に小アステュアダマースが「アキッレウス」「アタマース」「アンティゴネー」の3部作で優勝しており(Webster, T.B.L., Hermes, 82, 1954, 304-305; TrGF, 1, 60 T 5)、これが陶器画とヒュギーヌスの共通の源泉となったのではないか(Paton, Séchan)。ただヒュギーヌスの伝える、ヘーラクレースがアンティゴネーとハイモーンを擁護し、クレオーンの娘メガラーと結婚する、という話が前4世紀の「アンティゴネー」にあったとは考えられない。おそらくアステュアダマースでは、ヘーラクレースがデウス・エクス・マキーナーとして登場したことから、ヒュギーヌスはいくつかの神話のヴァージョンを融合するために、この奇妙な結末(ペリペテイア)を案出したのではないか。

 

 ローマの詩人たちも、ギリシアの悲劇を手本としてアンティゴネー神話を取り上げた。アッキウスは「フォエニッサエ」と「アンティゴナ」を書いた(Accius, Phoenissae, Antigona: Ribbeck, O., Die römische Tragödie im Zeitalter der Republik, 1875, 476-487)。セネカの「フォエニッサエ」には、アンティゴネーに続いて使者が、キタイロンで死に場所を探すオイディプースに、兄弟間の戦争を阻止するためテーバイに帰るよう説得する場面があった(Seneca, Phoenissae)。ルーキアーノス「黙劇について」は、ポリュネイケースの埋葬とアンティゴネーの死をテーマとした無言劇(pantomimus)の存在を伝えている(Loukianos, de saltatione, 43)。

 スタティウス「テーバイス」はアンティゴネーを愛情溢れる不安な娘および姉妹として、独特のパトスをもって描き、とりわけポリュネイケースに対する愛を隠さない。スタティウスではハイモーンは登場しない。イオカステーと二人の娘は敵の宿営地に赴いて、ポリュネイケースに攻撃を思いとどまるように説得する(Statius, Thebais, 7.474-540)。城壁から見る場面で、アンティゴネーは一人で再度説得を試みる(11.354-386)。オイディプースとともに戦場に行き、死体を見る(11.586-633)。クレオーンに慈悲を乞い、父オイディプースを追放に処するように願う(11.708-756)。ポリュネイケースの妻アルゲイアーとともに、ポリュネイケースを埋葬する。遺体を洗い、まだ燃えているエテオクレースの薪の山のところまで引きずって運ぶ。ポリュネイケースの遺体をその薪の山の上に載せた途端、炎が二つに割れる12.349-463)。アンティゴネーとアルゲイアーは捕らえられ、クレオーンによって死刑宣告を受ける(12.677-682)。その時テーセウスの軍勢がやって来て七将の遺体の引き渡しを要求し、アルゲイアーは死を免れる(12.804)。

 アルゲイアーがポリュネイケースの遺体の埋葬に関与する例は、この他にヒュギーヌス(72)とローマの石棺一つ(no.11)しかない。アポッロドーロスはソフォクレースと細部だけが異なるヴァージョンを伝え(Apollodoros, Bibliotheke, 3.78)、そしてフィロストラトス『エイコネス』ではアンティゴネーは一人で埋葬する2.29 =no.10)。これら後世の資料に共通する要素は、ソフォクレースのように兄弟の遺体に一握の土を振りかけるだけでなく、遺体を運んで埋葬する(Apollodoros)、或いはエテオクレースの薪の山に載せて一緒に焼くことである(Hyginus, Philostratos, Statius)。パウサニアースによれば、アンティゴネーはポリュネイケースの遺体が重くて薪の山まで運びきれず、テーバイのネイティス門のところで遺体を置いた場所が、「アンティゴネーのシュールマ(裾長の衣)」と呼ばれていた(Pausanias, 9.25.2: Σύρμα Ἀντιγόνης)。

 アポッロドーロス(3.56)とヒュギーヌス(67)は、アンティゴネーがオイディプースの放浪の旅に付き添ったとする。前述のようにヒュギーヌスの別伝(72)とアープーリア陶器の伝える話形だけを例外として、些細な違いは多少あっても、後世の資料はすべて前5世紀の悲劇が創造した形に従っている。


【考古資料におけるアンティゴネー】


オーディプースの放浪

1* =Oidipous 83*  陶器画、Sicilia赤像式、前4世紀第3四半期。(左から)使者として来た羊飼い(老人)、Oidipous、その左右に娘2人(Antigone, Ismene)、Iokaste(苦悩の仕種)、侍女。背景は舞台大道具。円柱が3本立ち、Oidipousの宮殿を示す。人物はみな舞台の衣裳を着ている。Sophokles

Oidipous王」の一場面(924-1072)。

2* =Oidipous 90*  壁画。前2世紀第4四半期。Delos島出土。(左から)Oidipous、その左右に二人の少女(AntigoneIsmene)、Iokaste。いずれも悲劇の仮面と衣裳を着けている。

3* =Oidipous 89*  浮彫。前4世紀後半。Taranto出土。(右から)Oidipous、その手を取るAntigone

3A* =Oidipous 91*  陶器画、Apulia赤像式、前4世紀中頃。Erinys(またはPoseidon)の神域の祭壇。(左から)KreonIsmene/AntigoneOidipous(盲目、白髪)、Antigone/IsmenePolyneikes、その上方にErinys(復讐の女神、有翼)。SophoklesKolonosOidipous」の一場面。PolyneikesOidipousに、自分に味方するように頼みに来るが、Oidipousは拒絶し、息子二人に呪いをかける。ただし「KolonosOidipous」には、KreonPolyneikesが同時に舞台に現れる場面はない。

4* =Oidipous 98a*  陶器画、Lukania赤像式。前390-370年頃。中央にOidipousの墓、左にAntigone、右に若い男(Polyneikes? Eteokles?)が立つ。墓碑に「Oidipous」とある。基台の上にレーキュトスλήκυθος二つ。基台に楯と脛当てが立て掛けてある。


II 兄弟の争い

5* =Oidipous 92* =Amphiaraos 46*  浮彫。Romaの石棺。紀元2世紀末。現Roma, Villa Doria Pamphili。(左から)「二人の息子の争いを分けようとするIokaste」。Polyneikes/EteoklesIokaste(乳房をはだける)、その後ろにOidipousAntigoneEteokles/Polyneikes。「梯子を登るKapaneus」。「戦車ごと地中に飲み込まれるAmphiaraos」。戦車の上方には戦死した兵士たち。「4 EteoklesPolyneikesの死」。斃れるPolyneikes、抱える兵士、兵士2人、Eteoklesの死体を運ぶAntigoneArgeiaIsmeneかも知れないが、StatiusHyginusによってArgeiaと解する。【文献資料におけるアンティゴネー】参照)。

6*  ホメーロス杯。Thebai出土とされる。前3世紀後半/前2世紀第1三半期。(時系列で、左から)「PolyneikesEteoklesの一騎打ち」。Thebai [Thebeが岩に座って戦闘を見ている。「2 Iokasteとともに戦場に急ぐAntigone」。使者(ἄγγελος)にせき立てられてまずIokasteは戸口を出るが、

Antigoneはまだ戸口にいる。「3 Polyneikesの遺体を埋葬すべきことをKreonに説くAntigone=9。左にKreon、右にAntigone。「Kreonに呼ばれて来た

Teiresias」。KreonTeiresiasuを迎えて跪き、TeiresiasにはKreonの娘のMantoが付き従う。

7*  ホメーロス杯。Boiotia出土。前3世紀後半/前2世紀第1三半期。(左から)右に走る兵士2人、町Argosの擬人像(以上、図なし)、女Patroiai(「父祖の」の意、もとは2人いたか)、Eteokles(倒れ、すでに死んでいる)、Antigone(両腕を拡げて嘆いている)、Polyneikes(倒れているが、左手をIokasteの方に伸ばす)、Iokaste(自ら胸に剣を突き立てる)、兵士2人(右から駆け寄る)、町Thebai [Thebaiaの擬人像(左向き、岩に座る)。

8* =Oidipous 94*  ホメーロス杯断片。前3世紀後半/前2世紀第1三半期。二人の息子の斃れた戦場に盲目のOidipousが連れてこられたところ。おそらく左に、父の手を引くAntigoneが描かれていた。右端に楯の一部。上方に3行の文章が残る。「Oidipous は、自分の母・妻と息子たちの屍体の方に連れて行くように頼む」(Οἰδί]πους κελεύει ἄ[γ]ε[ιν πρὸς τὸ] πτῶμα τῆς αὐτοῦ μητρ[ός τε καὶ] γυναικὸς καὶ τῶν υἱῶν


III ポリュネイケースの遺体の埋葬

9* =6*  ホメーロス杯。Antigone は、Polyneikesの遺体を埋葬すべきことをKreonに説く。

10  文献。Philostratos, EikonesII.29 AntigoneAntigone Polyneikesの遺体を一人で埋葬する。

11* =5*  浮彫。Romaの石棺。Antigone Polyneikesの遺体をArgeiaと二人で埋葬する。

12*  陶器画、Lukania赤像式。前380年頃。Antigone Kreonの前に一人引き出される。(左から)Kreon(玉座に座り、演劇用と考えられるtiaraの一種を被り、右手に王笏)、見張り、Antigone(頭を外衣で覆う。左手は話す仕種)、見張り。

13*  陶器画、Apulia赤像式。前380-370年頃。Antigone Kreonの前に一人引き出される。喜劇の一場面。(左から)Kreon(演劇の衣裳、phallos。驚いた様子)、Antigone(白髪・禿頭。演劇の衣裳、phallos。右手に若い女の仮面を持ち、左手でhydriaを抱える)、見張り(右手でAntigoneの肩を捉える)。

14*  陶器画、Apulia赤像式。前350-340年頃。Kreonの前に引き出されたAntigoneHaimon。(左から)Haimon [Aimon]Antigoneの方を不安げに見遣る。足許に小箱)、見張り、Antigone(後ろ手に縛られている)、Heraklesnaiskos=祠の中に立つ。獅子の毛皮を着け、右手に棍棒を持つ)、Kreon [Kraon](腰の曲がった白髪の老人、頂部に鳥を象った王笏)、少年(右手にphiale)、年輩の女、Ismene(座る。上半身裸。左手に小箱を持つ)。14-15はおそらく、前341年に上演された小Astyadamasの「Antigone」に基づく。Heraklesdeus ex machinaとして登場。小箱は結婚の贈り物か。

15*  陶器画、Apulia赤像式。前340-320年頃。Dareiosの画家。Kreonの前に引き出されたAntigoneHaimon。(左から)見張り(右手に槍2本。左手に

Antigoneを縛めた紐を握る)、Antigone(後ろ手に縛られている)、少年、HeraklesKreonに話しかける仕種)、Kreon(玉座に座る。14よりも若い)、青年(左手に槍2本、右手に冠を持つ。見張りか)、Haimon(手を頭上に載せ、悲しみのポーズ)。

16*  陶器画の2断片、Apulia赤像式。前4世紀第3四半期。(断片1、右から)女の頭部(Eurydike)、頭部(右にAion、左にLa..)。(断片2=図なし、左から)女の上体(左を向いて座る。下にOrpheus? [..pheus])、naiskosの上部(中にPhersephone? [pher..])。両断片が関連づけられれば「冥界におけるOrpheusEurydike」かも知れない。でなければEurydikeKreonの妻で、「Kreonの前に引き出されたAntigoneHaimon」の可能性も考えられる。


(存疑:アンティゴネーかどうか不明)

17  陶器画、Campania赤像式。前330-310年頃。

18  陶器画、Paestum赤像式。前330-320年頃。

19  陶器画、Campania赤像式。前330-310年頃。

20*  壁画。Roma出土。紀元150-170年頃。(右から)Kreon(基台の上に座る)、Haimon?(男の方を見る)、Antigone?(右手に冠を持つ)、見張り?(槍、amphora?)、Ismene?(右手で中央の人物たちを指し示すが、顔は画面の外を向く)。

21  壁画。Ephesos出土。紀元5世紀中頃。


(除外:アンティゴネーではない)

22  陶器画、原Apulia赤像式。前5世紀第4四半期。

23  陶器画、Apulia赤像式。前320年頃。

24  陶器画、Apulia赤像式。前320年頃。

25  陶器画、Apulia赤像式。前4世紀第3四半期。

26  壁画。Pompeii, IX.8.3, 6出土。

27  ストゥッコ浮彫。Roma出土。紀元1世紀前半。


Ἰσμήνη イスメーネー


【神話の要約】

 

 イスメーネー(ギリシア語Ἰσμήνη)、イスメーネー(ラテン語Ismene)。

 オイディプースOidipousと、イオカステーIokasteまたはエウリュガネイアEuryganeiaの娘。アンティゴネーAntigone、ポリュネイケースPolyneikes、エテオクレースEteoklesの姉妹。前5世紀以降、アンティゴネーよりおとなしい、妥協的な姉妹として語られる。オイディプースの追放後もテーバイにとどまるが、父との関係は保ち(Sophokles, OK)、クレオーンにKreon対するアンティゴネーの闘争に際しては、姉妹の側に立つ(Sophokles, OT)。

 それ以前の文献では別の運命が伝わる。おそらくアテーナーAthena神殿または神域の中でペリクリュメノスPeriklymenosと会ったため、アテーナーの命を受けたテューデウスTydeusに殺される。


【文献資料におけるイスメーネー】

Krauskopf 1990: LIMC, V, s.v. Ismene

 

 オイディプースの子が列挙されるとき、イスメーネーは常に他の3人とともに挙げられる。テーバイ伝説を伝える叙事詩ではそれ以上の話は伝わらないが、アルカイック時代にはイスメーネーがテューデウスTydeusによって殺されたという話が行われた。紀元4世紀の文法家サッルスティオスSallustiosが記したソフォクレース『アンティゴネー』のヒュポテシスὑπόθεσιςによれば、イスメーネーは「テオクリュメノスTheoklymenos」と愛し合い、アテーナーに命ぜられたテューデウスによって殺された(West, IEG, frg.21)。この「テオクリュメノス」はサルスティオスの誤りで、「ペリクリュメノスPeriklymenos」が正しい。フェレキュデースPherekydesによれば、テューデウスに殺されたのが泉の畔だったため、その泉がイスメーネーと呼ばれるようになったと言うが、これは河神アーソーポスAsoposの娘イスメーネー(Ismene II)やイスメーノスIsmenos河と混同されたものかも知れない。

 この二つの伝承を合わせると、元は次のような話だったと考えられる。イスメーネーとペリクリュメノスがテーバイの町の外の泉の畔で会っているとき、テューデウスが彼らを襲った。これはテーバイ包囲の時か、または可能性は小さいがテューデウスがテーバイに派遣された時のことに違いない。理由は、アテーナーの怒りを買ったためである。イスメーネーがアテーナーの女神官だった、或いはアテーナーの神域で愛の行為を行ったか。アテーナーはテーバイではアテーナー・オンカーἈθηνᾶ Ὄγκᾱであり、その神域は町のアテーナー・オンカー門のそばにあった(Aiskhylos, Septem, 486-487; 501-502)。

 このようなイスメーネー像は、前5世紀の悲劇作者たちによって完全に変更された。イスメーネーはアンティゴネーとともに、七将の起こした戦争を生き延び、精力的なアンティゴネーの影のような存在となる。とりわけソフォクレースの「オイディプース王」と「コローノスのオイディプース」では、オイディプースとアンティゴネーを苦労して探し出し、兄弟間の争いと、テーバイの運命とオイディプースの運命を結びつける神託について知らせる(Soph., Oid. K. 311-509)。イスメーネーはクレオーンによって捕らえられた後(818-819)釈放され(1097-1098)、アンティゴネーに合流する。

 イスメーネーに関する話はもう一つある。アンティゴネーの項で述べたように、キオスChiosのイオーンIonのディーテュランボスdithyrambosによれば、アンティゴネーとイスメーネーは、エテオクレースEteoklesの子ラーオダマースLaodamasによってへーラーHeraの神域で焼き殺される。理由はポリュネイケースPolyneikesの遺体を埋葬したことに求められる。

 クラシック期以後の文献ではイスメーネーの影は薄い。スタティウスStatiusの『テーバイスThebais』では、イスメーネーの婚約者アテュスAtys(=アッティスAttis)がテューデウスTydeusとの戦いで瀕死の重傷を負い、町の中に運び込まれるが、イスメーネーの目の前で息絶える(Thebais, 8.554-654)。アンティゴネーは戦場に急いでイオカステーIokasteの死体を見出すのに対し(11.642-647)、イスメーネーはテーバイの町の中に残る。その後イスメーネーは言及されない。


【考古資料におけるイスメーネー】


I  オーディプースの放浪

1* =Antigone 1*   SophoklesOidipous王」の一場面(924-1072)。

2* =Antigone 3A*  SophoklesKolonosOidipous」の一場面。


II テューデウスに殺される

3*  陶器画、後期Korinthos式。前560年頃。(右から)Ismene [HUSMENA](寝台klineから身を起こし、Tydeusに右手を差し伸べて助命を嘆願する。下半身は布団で覆われているが、上半身は裸。)、TydeusIsmeneの左腕を摑み、剣を擬してIsmeneの胸を突こうとする)、Periklymenos(裸のまま武器も持たず左に逃げる。身体はIsmeneと同じく白く表されている)、Klytos(馬に騎乗)。

4*  陶器画断片、Attika黒像式。前6世紀第2四半期。Athenai, Akropolis出土。(断片1、右から)Tydeus(黒い肌。Ismeneの右手を捉える)、中央に

Ismene [HISMENE](白い肌。右腕を男に取られ、左手を差し伸べて助命を嘆願する)、女(白い腕に槍を持つ。おそらくAthena)。(断片2)記名だけが残る。おそらくPeriklymenos [..MEN..]

5*  陶器画、Attika赤像式。前480年頃。背景にDoris式円柱が4本、把手の下に一つずつ祭壇がある。(左から)AthenaTydeusの守護神)、Tydeus(重装歩兵の装備。Ismeneの肩を摑み、剣で突こうとする)、Ismenechiton, himation。右に逃げようとする)、Periklymenos(外衣だけを着、剣を持って右に逃げようとする)。HeleneMenelaosとの解釈もある(Helene 246*)。

6*  陶器画断片、Attika白地式。前490-480年頃。Ismeneklineに横たわる。上半身裸で、下半身は布団または外衣が掛かっている)、Tydeus(左手で

Ismeneの髪を摑み、右手で剣を突こうとする)。

7  Etruriaの遺灰容器、Chiusi製。除外(Ismeneではない)。Helene-Menelaosでもない。

8*  陶器画、Apulia赤像式。前340年頃。重く修復されている。除外(Ismeneではない)。


III ポリュネイケースの遺体の埋葬

9* =Antigone 14*  陶器画、Apulia赤像式。前350-340年頃。Kreonの前に引き出されたAntigoneHaimon