18/XII/2018


Ἀνδρομέδᾱ  アンドロメダー  1


古代文献資料


[神話のあらすじ──アポッロドーロスApollodorosによる](高津訳)

 

 ペルセウスPerseusはケーフェウスKepheusの支配するアイティオピアーAithiopia(エティオピア)に来て、その娘アンドロメダーAndromedaが海の怪物ケートスκῆτοςの餌食として供えられているのを見出した。ケーフェウスの妻カッシエペイアKassiepeia(カシオペア)が海のニュンフェーνύμφη(ニンフ)たちと美を争って、あらゆるニュンフェーよりも自分の方が美しいと誇ったからである。そこで海のニュンフェーたちは怒り、またポセイドーンPoseidonも彼女らとともに憤慨し、高潮と怪物を送った。アンモーンAmmon=ゼウス)が、もしカッシエペイアの娘アンドロメダーが怪物の餌食として供えられるならば、禍いから救われるであろうと予言したので、ケーフェウスはアイティオピアー人に強いられて、これを実行し、娘を岩に縛り付けた。ペルセウスは彼女を見て恋し、もし救われた少女を彼に妻としてくれるならば怪物を退治することをケーフェウスに約束した。この条件で誓いが交わされたので、彼は怪物を待ち伏せて殺し、アンドロメダーを解放した。

 しかしケーフェウスの兄弟でアンドロメダーの最初の婚約者であったフィーネウスPhineusがペルセウスに対して陰謀をめぐらした。それを知ったペルセウスはゴルゴーンGorgon(の首)を見せてケーフェウスと共謀者たちとを忽ち石にしてしまった。…

 

 アンドロメダー神話を記した文献と、その神話を主題とした美術作品について記した文献に分け、それぞれ作者の年代順に配列する。

 

アンドロメダー神話を記した文献】

 

(A-1) ソフォクレース「アンドロメダー」Σοφοκλῆς, Ἀνδρομέδα

『ギリシア悲劇全集11』下田立行訳、岩波書店,  p.40-43

[上演年は不詳。前5世紀。断片が残る。]

(A-2) エウリーピデース「アンドロメダー」Εὐρῑπίδης, Ἀνδρομέδα

『ギリシア悲劇全集12』久保田忠利訳、岩波書店,  p.53-69

[前412年に「ヘレネーἙλένη」と同時上演された。多くの断片が残る。]

(A-3) 伝エラトステネース『星座について』Ἐρατοσθένης, Katasterismoi,15 ケーフェウス座」「16 カッシエペイア座」「17 アンドロメダー座」

『ギリシア悲劇全集11』下田立行訳、岩波書店,  p.40-41; 『ギリシア悲劇全集12』久保田忠利訳、岩波書店,  p.53

[前275年頃−前194年頃。]

(A-4) オウィディウス『変容神話集』Ovidius, Metamorphoses, 4.663-752

『オウィディウス/変身物語』中村善也訳、岩波文庫, p.170-176

[前1世紀後半。]

(A-5) アポッロドーロス『ビブリオテーケー』Ἀπολλόδωρος, Βιβλιοθήκη, 2.4.3-5

『アポロドーロス/ギリシア神話』高津春繁訳、岩波文庫, p.81-84

[紀元1世紀か。]

(A-6) ヒュギーヌス『神話集』Hyginus, Fabulae, 64

『ヒュギーヌス/ギリシャ神話集』松田治・青山照男訳、講談社学術文庫, p.106

[紀元2世紀か。]

 

アンドロメダー神話を主題とした美術作品について記した文献】

 

(B-1) マニリウス『天体論』Manilius, Astronomica, 5.538-618

[紀元1世紀。図像史の上では⑦のタイプ。]

(B-2) プリーニウス『博物誌』Plinius, Naturalis Historia, 35.132

[生歿年は紀元23年頃−79年。「画家ニーキアースは〈アンドロメダー〉を描いた」。私見では④に相当。]

(B-3) ルーキアーノス「家について」Λουκιᾱνός, Περὶ τοῦ οἰκοῦ, 22

[生歿年は紀元120-180年頃。図像史の上では⑥⑦のタイプ。]

*(B-4) アキッレウス・タティオス『レウキッペーとクレイトフォーンの物語』Ἀχιλλεὺς Τάτιος, Τὰ κατὰ Λευκίππην καὶ Κλειτοφῶντα, 3.6-7

羽田康一「絵画〈アンドロメダー〉の歴史」『地中海学研究』16, 1993, 37-38n.111(=本ページで改訂)

『アキレウス・タティオス/レウキッペとクレイトポン』中谷彩一郎訳、京都大学学術出版会・西洋古典叢書、p.69-72

[紀元2世紀。図像史の上では⑥と⑦の中間に位置する。]

*(B-5) フィロストラトス『エイコネス』Philostratos, Εἰκόνες, I.29

[紀元3世紀。アンドロメダーの図像史の上ではひとまず④⑧の応用と言える。しかしヘーシオネーの図像史も参照する必要がある。]

(B-6) ヘーリオドーロス『アイティオピアー物語』Ἡλιόδωρος, Αἰθιοπικά, 4.8.3-5

『ヘリオドロス/エティオピア物語』下田立行訳、国文社・叢書アレクサンドリア図書館、p.157-158

[紀元4世紀か。図像史の上では⑥⑦のタイプ。]


図像資料──アンドロメダーの図像史


 私の仮説(羽田 1993)に基づいて、アンドロメダーの図像史をまとめる。

 要約。

 「アンドロメダーとペルセウス」の神話に取材した考古遺品のうち、ペルセウスがアンドロメダーを解放する場面を表した図像は、二つのタイプに大別される。一つはポンペイのディオスクーロイの家(Casa dei Dioscuroi)の壁画によって、もう一つはローマのスパダ・レリーフ(Spada Relief)のうちの一点によって代表される。この二点に表された男女合わせて4つの形の分析から、「アンドロメダー」を表した絵画が古代には少なくとも8点存在したこと、および8点の間の「形と意味の系譜」を推論した。

 8点の原作絵画には、場面の選択、遠近法、明暗法(陰翳法)、光の表現、場面構成など、それぞれの時代の関心と特質が凝縮されている。


①「ケートスと戦うペルセウスとアンドロメダー」


【遺品】

1-11-2  陶器画。後期コリントス式アンフォラamphora。現ベルリン(Berlin, Staatliche Museen, F1652)。イタリア、チェルヴェテリCerveteri出土。前6世紀第2四半期。LIMC, Andromeda, 1

1-31-7  陶器画。カエレ製ヒュドリアーCaeretan hydria。現スイス(Hirschmann Collection, H35)。前520-515年頃。LIMC, Perseus, 188


【原作】

6世紀前半。

おそらく神殿のメトペーまたはフリーズの浮彫ないし彩色陶板。

アンドロメダー神話を表した最初の大絵画。

戦闘の高潮場面。

アンドロメダーは積極的にペルセウスを援助。

【考察】

 原作の年代の上限はアイトリアー、テルモス(Aitolia, Thermos)のアポッローン神殿のメトペーに嵌め込まれていた前625年頃の陶板彩画によって与えられる(1-8)。ペルセウスだけしか表していないが、走っていることを示す折り曲げた膝(Knielaufschema)をペルセウスに適用した現存最古の遺品で、1-1と同じくペタソス・ペディーラ・キビシス(πέτασος, πέδῑλα, κίβισις)の三点セットを身に着けている点でも現存最古。原作の下限は陶器画1-1の年代、前6世紀第2四半期。

 古代文献におけるアンドロメダーの初出は前6世紀のヘーシオドス『エー・ホイアイ=名婦列伝』(Ἡσίοδος, ἢ οἷαι, 135.6)であるが、その素材は前8世紀ないしそれ以前にまで溯り、アルゴスの系譜とアルカディアーの系譜の統合によってペルセウスとアンドロメダーが「出会った」のは前750-720年頃のことと推定される。アンドロメダー神話に取材した最初のモニュメンタルな美術作品はこれより一世紀以上遅れ、前7世紀第4四半期から前6世紀第2四半期の間、概ね前6世紀前半に出現したことになる。


関連図

陶板彩画。テルモス(Aitolia, Thermos)のアポッローン神殿のメトペーμετόπηに嵌め込まれていた。現ロンドン(British Museum)。前625年頃。

「ペルセウス」「王」

「プロクネーとフィロメーラー」。左がΠρόκνη =Ἀηδών(夜鳴き鶯)、右がΦιλομήλᾱ =Χελῑδών [ΧΕΛΙΔϜΟΝ](燕)。おそらく中央の欠損部分に(プロクネーΠρόκνηとテーレウスΤηρεύςの間の子)イテュスἼτυςの死体があり、二人はそれを料理するところ。


②「杭に縛められたアンドロメダーと話すペルセウス」


【遺品】

2-12-3  陶器画。アッティカAttika白地ケルチ・クラーテールKelchkrater。現アグリジェントAgrigento(市立博物館)。アクラガス(Akragas=Agrigento)出土。前450-440年頃、フィアレーPhialeの画家。LIMC, Andromeda, 5。杭。

2-42-14  同タイプの図像。

2-4  陶器画。アッティカAttika赤像式ペリケーpelike。現ボストンBoston(美術館、63.2663)。前5世紀中頃。LIMC, Andromeda, 2。杭。

2-5  陶器画。アッティカAttika赤像式ヒュドリアーhydria。現ロンドン(British Museum, E169)。前450-440年頃。LIMC, Andromeda, 3。杭の準備。

2-6  陶器画。アッティカAttika赤像式ケルチ・クラーテールKelchkrater。現バーゼルBasel(古代博物館、BS403)。前450-440年頃、クレオフォーンKleophonの画家。LIMC, Andromeda, 6。杭。

2-7  陶器画。アッティカAttika赤像式ペリケーpelike断片。現パリ(Louvre, Inv. sine)。前400年頃。LIMC, Andromeda, 7。櫂。

2-8  陶器画。アープーリアApulia赤像式ヒュドリアーhydria。現ロンドン(大英博物館、F185)。前380-370年頃。LIMC, Andromeda, 9。円柱。

2-9  陶器画。アープーリアApulia赤像式グロッケンクラーテールGlockenkrater。現ニュージーランド(カンタベリー大学、116/71)。前360年頃。LIMC, Andromeda, 11。小神殿の円柱。

2-10  陶器画。アープーリアApulia赤像式ルートロフォロスloutrophoros。現ナポリ(国立考古博物館、3225)。前4世紀第3四半期。LIMC, Andromeda, 13。立木。

2-11  陶器画。アープーリアApulia赤像式キュリクスkylix。現ターラントTaranto(国立考古博物館、8928)。前320-310年頃。LIMC, Andromeda, 17。立木。Andromeda/KassiepeiaNiobeの組合せ(傲慢hybris)。

2-12  陶器画。カンパーニアCampania赤像式ヒュドリアーhydria。現ナポリ(Collezione Spinelli1952)。前340-330年頃。LIMC, Andromeda, 20。櫂。

2-13  陶器画。ルーカーニアLucania赤像式グロッケンクラーテールGlockenkrater。現ハイデルベルクHeidelberg(大学、26.69)。前4世紀前半。LIMC, Andromeda, 22。杭。

2-14  浮彫。墓碑の上部。現フランス、オート・ザルプHautes-Alpes県、ジェップGep(考古博物館)。ブリアンソンBriançon出土。紀元1世紀。LIMC, Andromeda, 152Andromedaは岩に繋がれる③のタイプだが、Perseusのポーズが継承されている。


【原作】

460-450年頃、ポリュグノートスの時代。

ストアーστοάなどの壁面に展示された大型板絵の一部。

対話場面の選択。

ソフォクレース「アンドロメダー」の影響。

【考察】

 原作大絵画の出現年代は前460-450年頃に想定される。この時代に活動した画家たちを代表するのはポリュグノートスΠολύγνωτοςであり、原作は、数多くの神話の登場人物たちを意味と形態における対比点と類似点によって連鎖させながら大画面の各所に散り嵌める、彼がデルフォイΔελφοίの「クニドスΚνίδος人のレスケーΛέσχη」に描いた「ネキュイアー」(Nekyia: 冥府降り。2-15)や「イリウーペルシス」(Ἰλιουπέρσιςトロイアー掠奪)、アテーナイ・アゴラーἀγοράの「ストアー・ポイキレーΣτοὰ Ποικίλη」に描いた同じく「イリウーペルシス」のような形式で表された大絵画から抜粋されたものであることが推定される。

 ポリュグノートスの特質の一つは、動きの少ない緊迫した状況の中に人物を置き、それによって彼らの性格・態度(エートスἦθος)を表現することにあったが、そのためには適切な場面選択が不可欠であった。先行作の激しい戦闘場面を拒絶し、出会い・対話の場面を選んだには、ポリュグノートスに代表されるクラシック初期の時代的特質が現れている。

 同時期に上演されたソフォクレース「アンドロメダー」には、地上に降り立ったペルセウスが、縛められたアンドロメダーと言葉を交わす場面があった。アンドロメダー「あなたがこの地に来られたのは馬を駆ってですか、それとも船で渡ってですか?」(F127──ペルセウス「気の毒に、罪もなく宙吊りにされて」(F128a)。はこの悲劇の影響下に作られた可能性がある。

 緊迫した空気をよく伝えていること、ペルセウスの形が彫刻的で明確であること、赤像式よりも大絵画の制作過程に類似した白地であることから、遺品の中では2-1が原作に最も近いと思われる。


Πολύγνωτος  ポリュグノートス


 ポリュグノートスの絵画における新機軸は次のように考えられている。

 (1) 構図においては、高さを違えた土坡(どは)の線(地面や岩の線)による遠近感の表現。これはパウサニアースの記述から分かる。同時代の陶器画への反映が、ニオビダイの画家による陶器画「(A面)ニオベーの子供たち(ニオビダイ)を射殺すアポッローンとアルテミス/(B面)ヘーラクレースとアテーナーほか」(前460年頃、ルーヴル博物館)などに認められる。ベルリンの画家による陶器画「アンドロメダー」(前410年頃、ベルリン国立博物館)における土坡はその発展である。

 (2) 人物表現においては、動きを抑えた緊迫した場面設定。ポーズと眼差しによる各人物のエートスἦθος(性格、とりわけ優れた高邁な性格)の表現。開けた口によるパトスπάθοςの表現。これについてはアリストテレース『詩学』に言及があり、さもしい人物を描くパウソーンと対比している。

 クニドス人のレスケーlesche(談話室)はデルフォイ神域の北東端にあった。その中の周囲の壁面にポリュグノートスPolygnotosが前470460年頃に「イリウーペルシスIlioupersis/トロイアー陥落」と「ネキュイアーNekyia/冥府降り」を描いた。紀元2世紀にパウサニアースが訪れた時その絵はまだあって、詳細な記述が残された(Paus.10.25-27; 28-31)。

 動物を除く登場人物の総数は、パウサニアースの記述によるポリュグノートス「ネキュイアー」では70人、同じくオデュッセウスの冥府下りを記したホメーロス『オデュッセイアー』第11巻では32人(表1参照)。共通して現れるのは25人である(『オデュッセイアー』の存疑部分を含む)。

 ポリュグノートスは『オデュッセイアー』だけに依拠せずいろいろな伝承を自由に使って独自の作品を作った。反対側の「イリウーペルシス」との対応も考慮して全体を構想したはずである(ここではその考察は省略する)。

 スタンスベリー・オドンネルによる復元図によれば(Stansbury-O'Donnell 1989, 1990)、パウサニアースはクニドス人のレスケーの南壁中央の入口から入り、反対側=北壁中央右側に描かれた「イリウーペルシス」を右回りで記述して入口の左側まで終わったあと、北壁中央左側に描かれた「ネキュイアー」を左回りで記述して入口の右に至る。


復元図 Stansbury-O'Donnell 1989, 1990; Pollitt 1990, 127-140, fig.5a-c, 6a-c.

Ilioupersis 1

Ilioupersis 2

Ilioupersis 3

Nekyia 1

Nekyia 2

Nekyia 3

 カール・ローベルトによる伝統的な復元案では(Carl Robert 1892, 1893)、「イリウーペルシス」は入口のすぐ脇、南壁東寄りから始まり、北壁の中央で終わり、次いで「ネキュイアー」は入口の反対側から始まり、やはり北壁の中央で終わるように記述がなされたと考えられていた。従ってどちらについても、新復元とは左右が逆になっていた。

Nekyia


参考図 古代の板絵の額縁。


③「岩に繋がれたアンドロメダーと話すペルセウス」


【遺品】

3-13.2 陶器画。アッティカAttika赤像式ケルチ・クラーテールKelchkrater「アンドロメダー・クラーテールAndromeda Krater」。現ベルリンBerlin(国立博物館、3237)。カプアCapua出土。前410年頃。LIMC, Andromeda, 8


【原作】

410年頃、アポッロドーロス(Ἀπολλόδωρος)またはゼウクシス(Ζεῦξις)。

明暗法の導入。

エウリーピデース「アンドロメダー」の影響。

【考察】

 この陶器画(3-1)は、前412年に「ヘレネー」と同時に上演された、エウリーピデースの悲劇「アンドロメダー」の印象を伝えている。中央のアンドロメダーの形は悲劇冒頭の独唱=モノーディアー(μονῳδίᾱ)場面を写したものに違いない。アンドロメダー「おお、神聖な夜よ、/そなたは何と遙かに遠く馬車を駆り立てることか、/神聖な中空の/星を散り嵌めた山の背の上を走り/荘厳なオリュンポスὌλυμπος山を越えて。(F114)」 ──空を飛んできたペルセウスの台詞「おや、私の眼に映るあの海の泡に囲まれた/岩山は何だろう? 自然に細工が施されて石からできた/何か乙女の似姿のようなもの、/優れた腕で刻まれた像が見える。(F125)」

 この絵に描出されたのは対話の場面であるが、二人の対話も断片が残っている。ペルセウス「おお乙女よ、宙吊りにされたそなたを目にし、心が痛む。(F127.1)」──アンドロメダー「私の苦難に心を痛めて下さったあなたはどなたですか。(F127.2)」「おお、異国の方よ、惨めな私に同情して/縛めを解いてください。(F128)」──ペルセウス「おお乙女よ、もしそなたを助ければ、私に感謝してくれるだろうか?(F129)」──アンドロメダー「私を連れて行って下さい、異国の方よ、お望みのまま侍女としてでも、/妻としてでも、奴隷としてでも。(F129a)」

 この悲劇においてはアイティオピアーの少女たちからなるコロス(χορός)がアンドロメダーを慰め励ます役割を演ずるが、この陶器画(3-1)の左端の人物はその代表として描き加えられたと考えられる。3人の女たち、アンドロメダー、デアー・エクス・マキーナー(Dea ex machina: 機械仕掛けの女神)として最後に登場するアフロディーテー、およびアイティオピアーの少女は、華やかな文様をあしらった演劇用の衣裳を着ている。

 この作品において初めてアンドロメダーの背後に岩が描かれた。暗色の岩の前に立った白い肌のアンドロメダーを立体的に表現するために、当時の画家たちの中心的課題の一つであった明暗法/スキアーグラフィアー(σκιᾱγραφίᾱ)の技術が駆使されたに違いない。明暗法に特に秀でた画家としてアポッロドーロスἈπολλόδωροςとゼウクシスΖεῦξιςが挙げられる。プリーニウスが典拠としたクセノクラテースΞενοκράτηςによるギリシア絵画史では、アポッロドーロスが美術の門を開き、ゼウクシスがその門を通ったとされ、特にゼウクシスについては、明暗法に秀で、師のアポッロドーロスを超えた、(暗色の地の上に)白いモノクローム画を描いた、(黒・白・赤・黄およびその混合色に限定する)四色主義者であった、などの特色が知られている。アポッロドーロスとゼウクシスの明暗法の違いに関しては、輪郭線を線影で補うヴェルギナVergina第一墓の「ペルセフォネーの拉致」(3-53-13)やカザンラクKazanlak3-143-16)の線的な方法と、様々な色彩を併用して陰影付けを行うヴェルギナ第二墓の「狩獵図」(3-173-23)、同じくヴェルギナの「4頭立て馬車」(3-243-25)やレフカディアLefkadia3-263-29)の色彩的な技法とが、それぞれに対応するのではないかという仮説が提出されている。がどちらであったかは分からないが、次のは間違いなく後者である。


関連図

大理石彫刻「ディオメーデースDiomedes」。現ナポリNapoli(国立考古博物館、144978)。クーマエCumae出土。高さ177cm。原作は前450-420年頃。

大理石彫刻「ディオメーデース」。現ミュンヘンMünchenGlyptothek, 304)。

大理石彫刻「ヘルメース」。現ヴァティカン。


ヴェルギナVergina第一墓「ペルセフォネーPersephoneの拉致」(ヘルメースHermes、ハーデースHades、ペルセフォネーPersephone、キュアネーKyane、デーメーテールDemeter)。前340-330年頃。

カザンラクKazanlak墓室壁画。ブルガリア。Jivkova 1974

ヴェルギナ第二墓墓室外面の壁画「狩獵図」(Philippos II, Alexandros)。前340-330年頃。

ヴェルギナ墓室出土、大理石製玉座の背に描かれた4頭立て馬車。ハーデースとペルセフォネー。前340-330年頃。

レフカディアLefkadia墓室外面の壁画。ラダマンテュスRhadamanthysほか。Petsas 1966


【ヴェルギナVergina出土の絵画】

 ギリシア北部、マケドニアー王家の墳丘墓。Andronikos 1984で初めて発掘成果がまとめられた。

 「第2墓」(おそらくフィリッポス2世の墓)──正面外壁上部の「フィリッポス2世とアレクサンドロスの狩獵図」。340-330年頃?ニーキアースNikias

 「王女の墓」──墓室壁画「ハーデースによるペルセフォネーの拉致」(?ニーコマコスNikomachos)。墓室内の大理石製玉座の背凭れに描かれた「ハーデースとペルセフォネーの馬車」(ニーキアースNikias)。