29/I/2019


Ἀνδρομέδᾱ  アンドロメダー  2


④「ペルセウスによるアンドロメダーの解放」


【遺品】

4-1  壁画。ポンペイ「ディオスクーロイの家」(Pompeii VI.9.6 (53), Casa dei Dioscuri, peristylium)出土。現ナポリ(国立考古博物館、8998)。第Ⅳ様式、紀元1世紀。LIMC, Andromeda, 69

4-2  壁画。ポンペイ「五つの骸骨の家」(Pompeii VI.10.2 (b), Casa dei Cinque Scheletri)出土。現ナポリ(国立考古博物館、8993)。LIMC, Andromeda, 67

4-3  壁画。ポンペイ(Pompeii VII.16.10/12)出土。現ナポリ(国立考古博物館、8997)。LIMC, Andromeda, 68

4-4  壁画。ポンペイ「アトリウムの家」(Pompeii VI.13.19 (h), Casa ad atrio, triclinium)出土。LIMC, Andromeda, 70

4-5  陶器画、アープーリアApulia赤像式ケルチクラーテールKelchkrater。現イタリア、マテラMateraMuseo Ridola, 12538)。前4世紀第3四半期、ダーレイオスDareiosの画家。LIMC, Andromeda, 64

4-6  陶器画、アープーリアApulia赤像式ペリケーpelike。現マリブMalibuPaul Getty Museum, 87.AE.23)。前340-330年頃、ダーレイオスDareiosの画家。LIMC, Andromeda, 64A。図準備できず。


【原作】

350-340年頃、ニーキアースΝῑκίᾱς

独立した板絵、パネル画。

「形と意味の継承/本歌取り」を語り=ナレーション(narration, narrative)の方法として活用。

コントラポスト(contrapposto)とその否定である飛翔の表現との組合せ。

初めて闘いの後の解放場面を選んだ。

初めて光を導入した。

先行した三つの大絵画を批判的に継承した集大成。

【考察要約】

 アンドロメダーには「オリュンピアーのニーケー」(4-7)と「クニドスのアフロディーテー」(4-18)を使ったと考えられる。コントラポストcontrappostoを女性裸像に初めて適用した作品と、重力を前提とする造形課題であるコントラポストを否定する飛翔の表現に初めて成功した作品を組合せて一つの形を作り出したと言うことができる。

 こうした典拠の合成、すなわちいくつもの形およびそれぞれの内包する意味との組合せによって、「解放」という一つの場面の中に、物語のすべての局面、すべての要素を描き込むことを可能にした。ペルセウスの背後にポセイドーンの形を、アンドロメダーの背後にニーケーとアフロディーテーの形を隠し描き、この神話におけるポセイドーンの役割(カッシエペイアΚασσιέπειαに対する怒り)、ニーケー(海戦における勝利)とアフロディーテー(アンドロメダーの美しさ、二人の間の愛)の役割をも描き込んだ。

 ペルセウスの身体は岩のアーチ型の中にうまく収まっている。岩の間からはその向こうの海と空が見え、ペルセウスの上半身は逆光の状態にある。この構図が光を表現するために意図的に選ばれたことは疑う余地がない。ギリシアの画家たちが光の表現に関心を集中するようになったのは、色彩論を表したエウフーラノールΕὐφράνωρの時代、前4世紀第2四半期頃からと考えられている。

 プリーニウス『博物誌』の伝えるニーキアースの「アンドロメダー」は、「アンドロメダーの図像史」の「ペルセウスによるアンドロメダーの解放」と考えられる。これが古代において最も重要な絵画「アンドロメダー」となった。


A[アンドロメダーの形と意味]

 アンドロメダーの形は、パイオーニオスΠαιώνιοςの「オリュンピアーὈλυμπίαのニーケーΝίκη」とプラークシテレースΠρᾱξιτέληςの「クニドスΚνίδοςのアフロディーテーἈφροδίτη」の合成と考えられる。

 

 「オリュンピアーのニーケー」はパルテノーンΠαρθενών西ペディメントpedimentのアテーナーとポセイドーンのアゴーン(ἀγών=争い)に立ち会っているアンフィトリーテー4-12を引用していたが、そこでは左脚がほとんど全部露わになり、着衣の左裾が大きく後方に翻り、そして両脚の間に向かって左向きに海蛇ケートスκῆτοςが横たわっていた。④でアンドロメダーはケートスを足下に踏みつけたりはしていないが、その足の向かって左に死んだ海獣ケートスの頭部が描かれている。さらにアンドロメダーの後ろに立ち上がった岩の形状は、ニーケーの背後に広がる帆のような外衣の形を思わせる。アンドロメダーは先ほどまでペルセウスとともに海の上を飛んでケートスと戦い、勝利し、今空中から舞い降りたところなのだ。

 エウリーピデースの悲劇「アンドロメダー」で、ペルセウスがエロースἜρωςに戦いの間自分についていてくれるように祈った言葉が異常な人気を博した(Euripides, Andromeda, F136 =Athenaios, 13.561B)。アレクサンドロス大王は或る宴会の席でその詩行を朗唱したし、前306年頃この悲劇の再演に接したアブデーラ(Ἄβδηρα)の町の人々は悲劇病に罹り、熱に浮かされたようにこの歌を口ずさみながら町を練り歩いたのだった。

おおそなた、神々と人間の王エロースよ、

美しい者が美しく見えることをわざわざ教えてくれなくてもよい、

恋する者たちがうまくゆくように力を貸して欲しい、

そなたのせいで恋の悩みに苦しんでいるときは。

そうすればそなたは神々の間で敬われるだろう、

だがそうでなければ、そなたを敬う者たちの感謝の念は、

愛することを教えたというまさにそれゆえに、そなたから奪われてしまうだろう。

 ④では海戦での勝利を意味するニーケーの形をアンドロメダーに使うことによって、アンドロメダーがペルセウスと一緒に海の上を飛んで戦ったことが示されている。つまりここではニーケー=アンドロメダーはペルセウスが祈りを捧げたエロースと同一視されている。おそらくそれはニーケーとエロースがともに肩に大きな翼をつけていることによる。さらに先行作③においてアンドロメダーが両腕を拡げた姿が、飛翔への連想を誘ったのかも知れない。


「パイオーニオスPaioniosのニーケーNike」。前420年頃、パイオーニオス作。オリュンピアーOlympia出土。

復元像。オリュンピアー博物館。

現状。現存高さ198cm。オリュンピアー博物館(46-48)。

三角柱復元図、碑文

オリュンピアー神域の地図。


アテーナイ、パルテノーンParthenon神殿の西破風「アッティカをめぐるアテーナーとポセイドーンの争い」に立ち会うアンフィトリーテーAmphitrite(ポセイドーンの妻)。

ジャック・カレーJacques Carreyによる素描。

現存するケートスketos頭部。

復元。Boardman

パルテノーン神殿の西破風「アッティカをめぐるアテーナーとポセイドーンの争い」、東破風「アテーナーの誕生」の復元図。Boardman

4-17  アテーナイ、アクロポリスの地図。


 アンドロメダーのコントラポスト(contrapposto)は「クニドスのアフロディーテー」4-18のそれと同一である。ただ右肩のペプロス(peplos)の留め金を外すことにより、左肩から右腰へ流れる線が生じ、それによって「クニディアーΚνίδια」におけるS字曲線がやや曖昧にされ、挙げた左腕とも相俟って、身体の左側が大きな弓形を描き、そちら側の開放性が強められている。

 「オリュンピアーのニーケー」4-7が左胸を出していたのに対し、アンドロメダー4-14-3は右胸である。この改変には二つの目的が推定される。画家は、「クニディアー」のコントラポストを多少犠牲にしてまでもアンドロメダーの左側(向かって右)への、すなわちペルセウスに対する心理上の開放性を強調した。と同時に、手足の動き、衣の線、および眼差しをケートスに収斂させる効果を意図したと考えられる。アンドロメダーの右腕、右胸をはだけた衣の作る線、左腕、ペルセウスの視線、右膝の線、およびペルセウスの右足先からアンドロメダーの両足を結ぶ線が、ケートスに向けて収斂している。

 「オリュンピアーのニーケー」の上に「クニドスのアフロディーテー」を重ねることによって、どんな意味が加わっただろうか。先程までペルセウスと一緒に海上でケートスκῆτοςと戦っていたアンドロメダーは、戦いに勝って海から陸に上がり、岩から降り、これからペルセウスとの結婚のために身体を清めるのである。④4-1の画面右下隅に描き込まれているものはヒュドリアーὑδρίᾱなのではないだろうか。

 ペルセウスと共に戦うアンドロメダーというモチーフは、前6世紀前半の大絵画①1-1ですでに表されていた。④4-1の作者は、この最も古いタイプのアンドロメダー像とエウリーピデースにおけるペルセウスのエロースへの祈願とを、「形と意味の継承=本歌取り」の技法を使って、見事に融合したのである。


「クニドスのアフロディーテー」。プラークシテレースPraxiteles原作。現ヴァティカン博物館Musei Vaticani

「クニドスのアフロディーテー」頭部。現ルーヴル美術館。


B[ペルセウスの形と意味]

 ペルセウスの形は三つの先行作の合成と考えられる。オリュンピアー、ゼウス神殿のメトペーμετόπηに表されたヘーラクレースの十二功業のうち「ネメアー(Νεμέᾱ)の獅子退治」4-20、前400年頃の大絵画「アミューモーネー(Ἀμῡμώνη)に求愛するポセイドーン」4-22、および前5世紀初めには成立していたペルセウス座の星座図4-29である。

 

 まずヘーラクレース。「ネメアーの獅子退治」4-20のヘーラクレースの形は前460-450年頃の大絵画②2-1ですでにペルセウスに使われている。系譜の上でペルセウスとヘーラクレースはともにアルゴス(Ἄργος)の王家の出身で、ヘーラクレースはペルセウスの曾孫(ひ孫)に当たる。オリュンピアーの「ネメアーの獅子退治」が戦いの後の場面であるのに対し、②は対話すなわち戦いの前の場面、④は闘いの後の解放の場面である。④の原作者は②の原作を知っていて、その本歌であるオリュンピアーのヘーラクレースとの意味上の重なりを求めて、出会い・対話の場面を闘いの後の解放の場面に変え、先行作品の形を批判的に継承したのではないかと思われる。


オリュンピアー、ゼウス神殿のメトペーmetope。ヘーラクレースHerakles12功業。

左上から順に

(1) ネメアーΝεμέᾱの獅子

(2) レルネーΛέρνηのヒュドラーὝδρᾱ

(3) ステュンファーロスΣτύμφᾱλοςの鳥たち

(4) クレーターΚρήτᾱの牡牛

(5) ケリュネイアΚερυνειαの鹿

(6) ヒッポリュテーἹππολύτηの帯

(7) エリュマントスἘρύμανθοςの猪

(8) ディオメーデースΔιομήδηςの人食い馬

(9) ゲーリュオーンΓηρυών

(10) ヘスペリデスἙσπερίδεςの林檎

(11) ハーデースἍιδηςのケルベロスΚέρβερος

(12) アウゲイアースΑὐγείᾱςの家畜小屋の掃除


 次にポセイドーン。前390年頃の陶器画4-22ではポセイドーンとアミューモーネーの周囲でサテュロス(Σάτυρος)たちが踊っているが、おそらく前463年に初演されたアイスキュロスのサテュロス劇「アミューモーネー」が前5世紀末に再演され、その影響下に描かれた大絵画「アミューモーネーに求愛するポセイドーン」に基づくものと推定される。

 サテュロス劇ではヒュドリアー(ὑδρίᾱὕδωρ=水)を持って水を探し求めるアミューモーネーをサテュロスたちが襲い、それをポセイドーンが救って求愛する。同様にペルセウスはケートスに襲われたアンドロメダーを救い、結婚する。④4-1におけるペルセウスと大絵画「アミューモーネーに求愛するポセイドーン」4-22におけるポセイドーンとは役割が同じである。アルゴス王ダナオスΔαναόςの娘アミューモーネーとペルセウスはともにアルゴスの王家に出自を有する。またアンドロメダーの中に描き込まれた「クニドスのアフロディーテー」4-18は、ヒュドリアーという要素によってアミューモーネーと結びつく。ヒュドリアーはルートロフォロス(λουτροφόροςλουτρόν=沐浴、沐浴の水)と同様、婚礼の沐浴のための容器としても使われ、アミューモーネーの図像は婚礼の日の花嫁と関係づけられていた。と同時に、④の作者はポセイドーンの形をペルセウスに適用することによって、ポセイドーンを別個に描き込むことなく、アンドロメダーの物語におけるポセイドーンの役割を暗示したと解される。

 ④4-1の原作に基づく遺品のほとんどで、ペルセウスの右膝にクラミュス(χλαμύς)の一端が向こう側からこちら側に向かって掛かっている。これは「アミューモーネーに求愛するポセイドーン」4-22から受け継いだモチーフである。さらに最も保存のよい「ディオスクーロイの家」の壁画4-1では、この部分に遠近法と色彩的対比の技術が集中的に駆使されている。画面の中心に近いこの箇所で、クラミュスの一端、ペルセウスの右膝、意図的に乱されたアンドロメダーのペプロス(πέπλος)、海、という順で、奥へ奥へと重なり合うように配置され、そして色彩的にも、クラミュスの紅紫色、ペルセウスの膝の褐色、アンドロメダーのペプロスの黄、海の青緑が鮮やかに対比されている。影の部分の黒も含めると、この絵の中で使われているすべての色彩がここに集中しているのである。


陶器画、アッティカ赤像式。「アミューモーネーἈμῡμώνηに求愛するポセイドーン」。390年頃。アイスキュロスのサテュロス劇「アミューモーネー」の刺戟を受けて制作された前400年頃の大絵画「アミューモーネーに求愛するポセイドーン」が手本として想定される。

「ラテラノLaterano・タイプのポセイドーン」。リューシッポスLysippos原作。現ヴァティカン美術館。


 次いで、ペルセウス座。④の原作者は、アミューモーネーに求愛するポセイドーンが右手を挙げればそのままペルセウスの星座の形になることに、まず着目したと思われる。星座図4-29ではペルセウスは右足を上げ、右手を挙げてハルペーἅρπηを振り翳し、下げた左手にはゴルゴネイオンγοργόνειονを持っている。左腰のあたりに不気味な変光星アルゴル(Algol)があり、これがゴルゴネイオンになっている。エウリーピデースの「アンドロメダー」の幕切れで、アフロディーテーがデアー・エクス・マキーナー(Dea ex machina)として出現し、登場人物全員を星座として天上に上げることを告げる場面があった。④4-1の画家はペルセウスにペルセウス座の形を使うことによって、ペルセウスΠερσεύς、アンドロメダーἈνδρομέδᾱ、カッシエペイアΚασσιέπεια、ケーフェウスΚηφεύς、ケートスκῆτος(鯨座)がみな星座とされて永生を得ることを暗示したと言える。


陶器画、アッティカAttika赤像式。前430-425年。「メドゥーサΜέδουσαの首を切って逃げるペルセウス」。ペルセウス座のポーズでペルセウスを表す。

ブロンズ製バケツ。前5世紀末。ペルセウス座のポーズでペルセウスを表す。

4-29  フラムスティードFlamsteedの星図「ペルセウス座、アンドロメダー座」(1776年第2版)。


C[新機軸/まとめ]

 (a) それ以前の作品が①では「戦闘」、②③では戦闘の前の「対話」の場面を描いたのに対し、④ニーキアースは、アンドロメダーの図像史において初めて「解放」の場面を選んだ。①アルカイック期は高調した戦闘の場面、②③クラシック期は戦闘の前の緊迫した場面、④クラシック後期の前4世紀は闘いの後の解放の場面と、それぞれ時代の特質を表している。

 (b) アンドロメダーには「パイオーニオスのニーケー」と「クニドスのアフロディーテー」を使ったと考えられる。コントラポストを女性裸像に初めて適用した作品と、重力を前提とする造形課題であるコントラポストを否定する飛翔の表現に初めて成功した作品を組合せて一つの形を作り出したと言うことができる。

 (c) こうした典拠の合成、すなわちいくつもの形およびそれぞれの内包する意味との組合せによって、「解放」という一つの場面の中に、物語のすべての局面、すべての要素を描き込むことを可能にした。ペルセウスの背後にポセイドーン4-22の形を、アンドロメダーの背後にニーケー4-7とアフロディーテー4-18の形を隠し描き、それらの神々を明示的に描き加えることなく、この神話におけるポセイドーンの役割(カッシエペイアに対する怒り)、ニーケー(海戦における勝利)とアフロディーテー(アンドロメダーの美しさ、二人の間の愛)の役割をも描き込んだのである。

 (d) ペルセウスの身体は岩のアーチ型の中にうまく収まっている。岩の間からはその向こうの海と空が見え、ペルセウスの上半身は逆光の状態にある。この構図が光を表現するために意図的に選ばれたことは疑う余地がない。ギリシアの画家たちが光の表現に関心を集中するようになったのは、色彩論を表したエウフラーノールΕυφράνωρの時代、前4世紀第2四半期頃からと考えられている。


D[原作の年代・作者]

 ④に認められるこれら4つの新機軸(a)(b)(c)(d)は、そのすべてが、これらポンペイ壁画の原作が前4世紀中頃に出現したことを語っている。そして絵画「アンドロメダー」を描いたと伝えられる前4世紀中頃の画家ニーキアースの特質もこれと合致する以上(Plin.35.130-132)、他の画家をその原作者として想定することはできない。ニーキアースは「(i) 女性を正確に描いた。(ii) 光と陰影に留意し、カンヴァスから絵が(形像が)浮き出るように細心の注意を払った。──(i) diligentissime mulieres pinxit. (ii) lumen et umbras custodiit atque ut eminerent e tabulis picturae [figurae] maxime curavit.

 (i) 美術の専門用語としてのdiligens =ἀκρῑβής)は細部の自然主義的な正確さと、プロポーション(古代語ではシュンメトリアーσυμμετρίᾱ)の構成における正確さとを同時に含意した。ニーキアースはそのように女性を描いたのである。この特質は、アンドロメダーの形の中に女性裸像のカノーン(κανών)を確立した「クニドスのアフロディーテー」4-18を組み込んだ画家にふさわしい。ニーキアースは若い頃プラークシテレースの大理石彫刻に彩色を施していたことがあり、「クニディアー」の作られた前350-340年頃はちょうどその時期に該る。

 (ii)「絵が地から浮き出る」効果は、形像の輪郭線の周りに濃淡の色彩の陰影をつけることによって得られた。これをキルクムリティオー(circumlitio)と呼び、それはまさにニーキアースの特質をなした。実例は遺品(4-1)だけでなく、マケドニアー、ヴェルギナ(Vergina)第二墓の狩獵図3-173-23にも認められる。この墓の一括出土品は前350-310年頃に属し、狩獵図は前340-330年頃と考えられる。狩獵図をニーキアースの原画を写したものとする考え(Andronikos, Moreno)には説得力がある。

 さらに、トノス(τόνος)は光と影の対比対照、緊張関係、ハルモゲー(ἁρμογή)は光と影の混ざり合い、移行を指す語であるが、少なくとも、光る海原を背景とするペルセウスと、暗色の岩肌を地とする白いアンドロメダーとの対比には、それぞれにトノスを認めることができるかも知れない。色彩と光に関するこれらの用語はアポッロドーロスἈπολλόδωρος、ゼウクシスΖεῦξιςによる技術的・理論的発展を踏まえ、エウフラーノールΕὐφράνωρの色彩論においてすでに理論体系ラティオー(ratio)に組み込まれていたと推定される。

 「ディオスクーロイの家」4-1以外の壁画遺品4-2, 4-3で左端に見られる海岸の擬人像アクタイ(ἀκταί)について言えば、こうした人物はニーキアースの「アンドロメダー」内部における諸要素間の緊密な連鎖・重畳関係とはおよそ相容れないものであることから、ローマの画家の付加したものかも知れない。前2世紀後半の「オデュッセイアーの風景画」の原作にもアクタイが複数人描かれていたことが想起される。