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Loukianos の ekphrasis

 

 今日は朝から「Loukianos の ekphrasis」という原稿を念頭に、彼の「Περὶ τοῦ οἰκοῦ(多くの絵画が掛けられた)広間について」というエッセイを読んでいた。昼食時に、土曜(昨日)の毎日新聞「今週の本棚」で『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』の書評を読んで、面白いと思った。さらに夕食時にラジオの聴き逃しで金曜に放送された「高橋源一郎の飛ぶ教室」を聴いたら、何と同じ本が取り上げられていた。

 目の見えない人に目の前にある絵画を言葉で説明するって、まさに Philostratos たち第2次ソフィストたちが実践した ekphrasis そのものではないか? Loukianos は前掲エッセイで「絵画を見れば誰でも(言葉で)記述したくなるものだ」と言っているが、その行為には、説明する相手は目が見えること、そして「Ilias」など叙事詩や悲劇の知識ないしその教示の意図が前提されていたはずだ。片手間には片付かない根本的な問題がここには提起されているかも知れない。